平安の夢の迷い姫











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「……という経緯があったわけだが……これで満足か? ……っつーか、満足そうだな」

明藤は先ほどから、妙に機嫌良さそうに微笑んでいる。暮亀も同様だ。宵鶴だけは『いつまでやっているんだ』とでも言いたげに憮然としている。

『やはり、誰が相手であろうと、たかよし様はたかよし様でございますね。誰に対しても態度を変えぬその姿勢……恐らく腫物扱いであったであろう加夜姫様は、さぞかし嬉しかった事でございましょう』

『私達が知る加夜姫様は、考える事が現になってしまうが故に、思った事、望んだ事をはっきりと口に出す事ができないお方。そんな加夜姫様が、幼かったとは言えたかよし様に来てほしいと仰ったのは、相当肝を太くする必要があった事でございましょうなぁ』

「どうだろうな。ただ、これだけは言える。心の奥底から、無様だった俺を凄いと言ってくれた、あの加夜の輝くような顔。俺に調伏して欲しいと言ってくれた、あの言葉。あれだけで、当時腐ってた俺はかなり救われたんだ」

そう言って、少しだけ目を閉じる。瞼の裏に、あの時の加夜の姿が蘇る。そして、ため息を吐いた。

「俺だって、男だ。若い娘、見目麗しい姫君がいれば、ついつい目を奪われちまう事も無い話じゃねぇ。けどな……加夜だけなんだ。未熟な時も、陰陽師としてある程度名を上げてからも、心の奥底から俺の事を凄いと言ってくれた奴は。それに、他の誰でもなく俺が良いんだと、はっきりと言葉にして言ってくれた奴も」

『だからこそ、加夜姫様を大切に、愛しく思われるのでございますね?』

「あぁ」

頷いてから、隆善はふと怪訝な顔をした。

「……明藤、今日はやけによく喋るな。それにお前……ここまで人の色恋沙汰に興味を示すような性格だったか?」

『ただ今、私達が伺った事は全てそのまま惟幸様のお耳に届くようにしてございます故。私達の言葉の半分は、惟幸様からのお言葉でもございます』

「……は?」

思わず足を止めて、隆善は明藤の顔を見た。今語った事が嘘では無い事を示すように、明藤はにこりと笑った。

今まで、式神相手だからと誤魔化す事無く正直に語っていた己の言葉を思い出し、隆善の顔は次第に赤くなる。火照った顔を冷やそうとするように、今までに無く早足で歩き始めた。暮亀が、少しだけ意地悪く笑って見せる。

『惟幸様は、「なるほどね、そういう事があったんだ」と仰っておられますな』

「あの野郎……いつか絶対、童子の頃みてぇに泣かす……!」

恐らく無理だろうが、決意を表すために、敢えて口にする。すると、これまでからかうような笑みを浮かべていた明藤や暮亀、宵鶴までもが、優しく微笑んだ。

「……何だ?」

突然の優しい笑みに、隆善は気味が悪そうに身を捩じらせる。明藤が『いえ……』と口を開いた。

『そのように、幼い頃と変わらず惟幸様と接してくださるのは、京にはもう、たかよし様ただお一人でございますから……』

『貴族の家を捨て、京を出奔した惟幸様に、京人達は決して温かくはありませぬ。今の惟幸様をたまたま知り得た者は、たかよし様が普段仰っているような而立越え童というような言葉を、陰でこそこそと言いあっていらっしゃる……』

『ですが、たかよし様はそのような事はなさらない。いつでも惟幸様にまっすぐ向き合ってくださる事。それを惟幸様は、心より喜んでおられます。だからこそ、此度の騒動に積極的に力を貸し、たかよし様と加夜姫様に幸せになって頂きたいと望んでいらっしゃるのです』

三式神の口々の褒め言葉に、隆善は「知るかよ」とそっぽを向いた。

「毎日毎日、大内裏の狸ども相手にして気ぃ張ってんだ。この上、幼馴染とまで腹の探り合いみてぇな話をするなんざ、面倒臭ぇ以外の何ものでもねぇだけだ」

『そこで付き合いを断つという道を選ばず、惟幸様と京の繋がりを残して頂いた事……我ら式神、揃って感謝しております』

最後の言葉は、惟幸のものではなさそうだ。隆善は少しだけ照れたように、「おう」と返した。

気付けば、加夜の邸はもう目の前まで迫っている。

『たかよし様……』

案ずるような声をかけてきたのは、どの式神だったか。わからぬままに、隆善は門に手をかけた。

「……行くぞ。加夜が待ってる」

式神達と頷き合い、門を開ける。その瞬間、かつてないほど賑やかで、煌びやかで、騒々しい光景が隆善の目に飛び込んできた。

庭には、外に生えているような極彩色で生き物のようにうねる巨木が生えている。付喪神が駆け回り、煌びやかな着物を纏った二足歩行の動物達が闊歩し、木々や花の精と思われる者達が踊り狂っている。邸の真上では龍、鳳凰、白澤が優雅に飛び交い、きらきらと光り輝く金の粒が花びらのように降り注いでいる。

「……加夜と初めて会った時を思い出すぐらいの混ざりっぷりだな。……あの時より、数段酷くなってはいるが」

誰に向かって言うでもなく言い、珍妙な光景を横目で見つつ寝殿へ歩を進める。邸の構造自体が変わってしまったわけではない。長年通い詰めて勝手知ったる邸の事、奥へ進む事に躊躇いは無い。

「瓢谷様!」

履を脱いで階に足をかけたところで、西対屋の方から声がかかった。見れば、青褪めた顔の不破が渡殿に立っている。どこか隆善を睨んでいるように見えるのは、加夜が暴走した原因が隆善の邸での出来事――ひいては隆善のせいであると考えているためか。

「おう……遅くなって済まなかったな、不破。……加夜は?」

「……こちらに」

不破に導かれて、隆善は渡殿を渡る。その後には明藤だけが続き、暮亀と宵鶴は庭に残った。室内に入り込もうとする妖があれば、追い払ってくれるつもりらしい。

一歩踏み出すごとに、簀子縁がぎしりと音を立てる。この邸は、こんなに音が耳に響くような場所だっただろうか。

やがて三人は、加夜の部屋の前へと辿り着く。蔀戸が降りていた。通い慣れた、見慣れた部屋であるはずなのに、今はまるで見知らぬ部屋であるように感じる。

不破が蔀戸をそっと上げ、隆善を中へと導き入れる。几帳がいくつも並べられ、その向こうから生きている人の息遣いが微かに感じられた。

不破に視線で促され、隆善は軽く頷くと几帳の向こうへと入り込む。そこでは加夜が、静かに眠りについていた。

「加夜」

落ち着いた、しかしはっきりとした声で名を呼んでみる。だが、加夜はぴくりとも動かない。

「加夜!」

少しだけ、声を大きくした。だが、それでも。加夜が目覚める事はなかった。すうすうという、息の音がいやに耳につく。

「瓢谷様のお邸で気を失われてから、ずっとこの様子でございます」

悲しそうにも、怒っているようにも聞こえる不破の声が聞こえてくる。だが、遠い。

「……加夜……!」

肩を落とし、加夜の手を握る。明藤が、心配そうに隆善と加夜の姿を見詰めた。その優しげな女官姿の式神の顔に、幼馴染の表情が被って見える。そう言えば、今この式神達と惟幸は半ば同一人物であるようなものだ。

「……明藤」

ぼそりと、名を呼ぶ。応じるように膝を折った明藤に、隆善は問うた。

「明藤、今まで惟幸が、どうやって加夜の夢の中に入っていたか……その方法はわかるか? わからなければ、今惟幸から訊き出す事はできるか?」

『……加夜姫様の夢の中に、入られるのでございますか? たかよし様』

険しい顔付きで問う明藤に、隆善は頷いた。

「加夜を迎えに行く。迎えに行って、一刻も早く、俺が愛しく想っているのは加夜だけなんだっつー事を伝える。……伝えなきゃ、いけねぇんだ」

黙ったまま、明藤は頷いた。そして目を閉じると、声を出す事無く微かに頭を揺らす。どうやら、惟幸からの指示を聞いているらしい。

やがて明藤は目を開き、真っ直ぐに隆善の目を見据える。

『惟幸様が仰るには、加夜姫様がいらっしゃるのは夢の迷い路。それ故、加夜姫様を追うのであればたかよし様も眠りに付く必要があるという事にございます。呪文は要らず、ただ、夢の世界で己の意思を保つ事ができるよう強く念じながら、お眠りください。さすれば、自然と夢の迷い路への門へと辿り着く……と』

「まずは眠れ……か」

呟くと隆善は立ち上がり、几帳で区切られた外へと顔を向けた。

「不破」

名を呼ばれ、不破は即座に几帳へと歩み寄る。隆善ははっきりとした声で、不破に告げた。

「不破。俺は今から、加夜を現に連れ戻すため、夢の中に入る。その間、お前は今まで以上に加夜の傍を離れず、守っていてやって欲しい。……良いか?」

「誰に物を申されていらっしゃるのですか、瓢谷様? 姫様は私の大切な主。良くないわけがございません!」

きっぱりと言い切った不破に、隆善は「そうか」と微笑んだ。そして、加夜の横に腰を下ろす。

『私達式神は、夢を見る事が無い存在……これより先、お供する事はできませぬ。たかよし様……どうぞ、お気を付けて』

「わかっている。……明藤、後の事は、頼んだぞ」

そう言って、隆善はその場でごろりと横になった。顔を横に向ければ、寝息を立てる他はぴくりとも動かない加夜の横顔が目に入る。

目を閉じ、手探りで加夜の手を握る。温かい。視界が暗くなったからか、より一層加夜の寝息が耳に届くようになった。目覚めぬとは言え、加夜はまだ、生きている。

その事実に安堵したからだろうか。心地よい眠気が隆善を包みだす。

やがて隆善の視界だけでなく、意識も暗くなり。そして隆善は、眠りに落ちた。











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