護龍の戦士〜夜遊び皇帝と氷下の賢老〜





■十九■





「あ、陛下! 皆さん! ……それに、高矗さんまで!」

館の奥に位置する、元々は館の主人が使用していたのであろう大きな部屋。そこに、攫われた逃集村の女性達は集められていた。そして、そこで女性達を落ち着かせようと懸命に喋っていたらしい智多が駆け寄ってくる。

「智多ちゃん! こんなところにいたんだ!」

「はい。奏響さんが、外は戦闘が始まって危ないから、空になった館の中にいた方が良いと仰いましたので」

「けどよ、何処から入ったんだ? 出入り口の方は俺達が奴らと戦ってて、猫の子一匹入る隙間は無かったはずだぞ?」

首を傾げて、忠龍が問う。すると、智多は事も無げに言った。

「裏口からですよ?」

「裏口って……裏口あったのかよ、この館!?」

「そりゃ、あるだろう。こんな大きな館なんだからな。使用人や出入りの商人が入る為の裏口ぐらいはあって当然だ」

「じゃ、何で火事騒ぎの時に全員俺達の方に来たんだ? 裏口から逃げようとする奴がいてもおかしくねぇだろ?」

噛み付くように忠龍が問うと、智多がにこにこと笑いながら言った。

「裏口の方で「火事」と叫びましたから。それに、奏響さんが笛の音で煙の幻覚を館の中にいる人に見せてくれたんですよ。それで、皆さん火元は裏口の方だと思い込んで表口に殺到してくださったんです」

「僕の立案した火事作戦をこんなに安全な内容にリメイクしてくれるとは思わなかったよ。流石は軍師補佐、ってところかな?」

ニコニコと笑いながら奏響が言った。同じ表情なのに、智多と全く違う印象を受けるのは何故なのか。そして、忠龍としては奏響の言う火事作戦が元々はどのような作戦だったのかが気になるところである。まぁ、ただ単に館に放火するという恐ろしく且つ単純なものなのだが。

「それで、皆さんが戦っている間に攫われた女性達にはここに集まって頂いたんです。集まっていた方が、忠龍さん達が来た時に逃げ出し易いと思いましたので……」

「そうだな。部屋を一つ一つ覗いて回る手間が省けたのは、私としては非常にありがたい」

「智多ちゃん、すっごいお手柄だよ! ありがとね〜!」

高矗が淡々と事務的に言い、文叔が智多の頭を撫でくり回す。同じ顔をした二人からの讃辞に、智多は赤面している。

「よし。これで一番の心配事は無くなったな。そろそろ外の戦闘も終わった事だろうし、あとは皆で洛陽に戻れば、任務完了! だな」

ホッとした表情の忠龍に、一同は頷いた。皆、忠龍と同じようにホッとした表情だ。だが、その表情を瞬時に凍りつかせた者がある。

「勝手に終わらせるでないわ、偽善者どもが」

部屋の奥から、しわがれた声が聞こえてきた。その声に、忠龍と月華、そして攫われてきた女性達はギクリとし、その他の面々は得体の知れぬ雰囲気に身体を強張らせた。

あの声だ。女性達を次々と誑かし、忠龍が捕まる原因となった、あの老人の声だ。

忠龍は、思わず足元と頭上を交互に見た。だが、足元には凍りついた床があるばかり。頭上には暗い闇があるばかりだ。やはり、声の主は部屋の奥にいるらしい。

「その声……あの時のじいさんだな。そこにいるんだろ? 出てこいよ」

顔を緊張させたまま、忠龍は声をかけた。すると、存外素直に、老人は衝立の奥から姿を現した。白い髭に、枯れ木のような手足。間違い無く、あの老人だ。

「そういや、じいさんもいたんだよな。すっかり忘れてたぜ……」

嫌な汗をかきながら、忠龍が呟いた。すると、老人は好々爺然とした表情で笑いながら言う。

「何。ワシと小僧が顔を合わせたのはほんの僅かな時間じゃったからな。忘れていたとしても仕方があるまいて」

そう言えば、この館に着いてから老人の姿を見なかったような気がする。加えて、ここに着いて以来殴られるわ月華が犯されかけるわ月華と忠龍で互いの過去を暴露し合う事になるわ男達が反乱の企てをしているわで、すっかり本来の目的を忘れていた。

……いや、忘れていたわけではないのだが。そもそも今回の任務は怪老人の虚言によって女性達が攫われている事件の調査であった筈だ。それなのに、いつの間にやら女性達の救出と反乱鎮圧が主目的になっていて、怪老人の存在が薄れてしまっていた、というのが正直なところだ。

「何でまた、あんな痛い目見せられたじいさんの事忘れてたんだろうな、俺……。っつーか、偽善者って何だよ、じいさん。俺は確かに字も読めねぇほど馬鹿だけど、その分自分に正直だから偽善なんてやった覚えはねぇぞ」

「あぁ、忠龍はそうかもね」

「……ついに自分で言ったぞ。字が読めないほどの馬鹿だと」

「認めたわね」

「言っちゃったね。私達はただからかってるだけのつもりだったんだけど……」

「忠龍さん、帰ったらやっぱり字の勉強をしましょうか……?」

「忠龍。馬鹿なのと字が読めないのはあまり関係無いと思うぞ? お前のはただ単に勉強する機会が無かっただけだ。実際、お前は字こそ読めないが、会話をしたり戦闘している姿を見ている限り頭の回転はそこそこ早い方だと私は思っている」

仲間達が次々に言う言葉に、忠龍はがくりと項垂れた。

「追い打ちをかけるなよ! あと高矗! そのフォローは今は痛過ぎるぞ!!」

忠龍の叫びに、高矗は首を傾げた。どうやら、フォローではなくマジレスだったらしい。その様子に、忠龍は更に深く項垂れた。

「ふん。何もお前が偽善者だとは言っておらんよ、小僧」

「え?」

護龍隊の遣り取りを馬鹿馬鹿しそうに見ていた老人が、つまらなそうに言った。思わず忠龍が首を向けると、老人は言う。

「ワシが偽善者だと言ったのはお前じゃない。まぁ、そこにいる奴の大半は偽善者のようじゃが……中でも一番の偽善者は、そこにいる皇帝陛下の事じゃよ」

老人の言葉に、一同がザッと文叔を見た。当の文叔は、老人の言葉に目を丸くしている。

「……私?」

言っている意味がわからないと言わんばかりに、文叔は自らを指差した。すると、老人は頷いて言葉を紡ぐ。

「民の為、国の為に皇帝になったような顔をしておるがな。そもそも、お前にそのような顔をする資格なぞあるのか? 幾千幾万もの民を殺したお前がのう……」

「……っ!」

途端に、文叔の顔に緊張が走った。険しくなったその顔に、忠龍は何とも言えぬ不安を感じた。

「……何だよ? どうしたってんだよ、文叔?」

無理矢理笑顔を作って文叔に問うが、文叔からの回答は無い。ただ青ざめた顔を強張らせるばかりだ。

「じいさん、文叔が何千、何万も人を殺したってのはどういう意味だよ? 文叔は人を殺すなんてそうそうできやしねぇような人間だぞ? そんな奴が、どうやったらそんなに沢山の人間を殺せるってんだよ!?」

忠龍が問い詰めると、老人は呵呵と笑って見せた。そして、忠龍を馬鹿にしたような眼で見ながら言う。

「一軍の指揮官ともなれば、それだけでそ奴は大量殺戮者じゃよ。何せ、軍というものは多くの人を殺す。その軍を動かすのは指揮官じゃ。そしてそこの皇帝劉秀は兄や更始帝に従っていた頃から指揮官として多くの兵を動かしてきた。その二人が死してより後は誰に命ぜられるでもなく、自らの意思でその軍を動かし多くの敵を葬り去ってきた。勿論、その配下である何万人もの兵士達も一緒に、じゃ。果たして、これでも誰一人として殺していないといえるのかのう?」

その言葉に、忠龍は押し黙った。すると、暇も与えず老人は更に言葉を重ねてくる。

「勿論、直接人を殺した事もあろう? 敵に囲まれ窮地に陥った事もあった筈じゃ。自ら剣を抜き、兵士と斬り結ぶ事もあったろうて。そんな修羅場をいくつもくぐりぬけてきたにも関わらず未だに五体満足でいられるのじゃ。一体何人の名も無き兵士達を斬り捨ててきたのやら……」

「黙れ!」

老人の数々の言葉が聞くに堪えなかったのか……高矗が槍を構え、老人に向かって振り下ろそうとした。すると、いつの間にかその背後に回り込んだ老人が耳打ちをするように高矗に言う。

「お前も偽善者じゃな、趙嶺。お前は皇帝の影武者と言う職を煩わしいと言わんばかりの態度を取っておるが、その実悪くないと思っておろう? 何せ、皇帝として他人に命令する事ができるのじゃからな。兵士達は勿論、本来なら自分よりずっと身分が上の大臣達にも、堂々と自分の意思で命を下す事ができる。おまけに、天下が乱れようと民が不幸になろうと、偽者であるが故に何も責を負わずに済む。影武者が負う責と言えば自らの命の危険くらいのものじゃが、武術の腕があるのであればそれもあまり問題にはなるまい。自らは何も損なう事無く他人を見下せる、良い役割を得られたと本心では思っているのではないか?」

「ふざけた事を……!」

「そうは言っておるが、槍先が下がっておるぞ? 本当はそうかもしれないと、自分でも思っているのではないのかのう?」

「……」

老人の言葉に、高矗が沈黙した。すると、今まで黙って様子を見ていた奏響が口を開く。

「……随分と口が達者みたいだね。それに、少しではあるけれど道術も学んでいるのかな? さっき高矗の背後に回ったのは神行法だよね? ……となれば、あなたは僕や考福と同じ道士の端くれであるとも言える。その天帝のしもべとも言うべき道士が、何故こんな天の意思に背くような事をしているんだか……」

「口で謀り返そうとしているのなら、無駄な事じゃぞ」

奏響の発言を封じるように、老人がぴしゃりと言った。

「お前の事も聞き及んでおるぞ。奏響……道号は澄音道人で、俗名は何弦と言ったか。幼き頃より人一倍音楽を愛し静けさを畏れた、並外れた寂しがり屋。やたらと口が回るのも、寂しさ故、沈黙を畏れるが故じゃろう。ある時天の奏でる音楽を習得する為に道士となったのは憂いに満ちた人の世に幸ある音を満たす為とほざいておるようじゃが……実際は常に幸せに満ちた音楽、人の声を耳にしていないと自らが不安になるからじゃろう? その私欲の為に皇帝劉秀の元に身を寄せているというのに恩着せがましく天の意思とは……これは最早、偽善というレベルではないかもしれんのう」

奏響の顔色がサッと変わった。それを横目で見ながら、老人は放風に目を向ける。

「お前もじゃ、王弦。護龍隊に入ったのは、本当に皇帝を陰に日向に守りたいと思ったからか? 本当は、武官として立身出世を図る為に入ったのではないのか? 武人の子とは言え、有力者に何のコネも無いお前では出世は難しかろう。それよりは、街を頻繁にうろついている思考回路が単純な護龍隊頭領に自らの弓術の腕前を見せ付け、陰とは言えどもより皇帝に近い場所で動く事のできる場所に行こうと思ったのではないのか?」

放風の顔にも、迷いの色が生じた。本心は違うのかもしれない。本当に文叔を守る為に入ったのかもしれない。だが、老人の言葉に「ひょっとしたらそうかもしれない」と思ってしまったのだろう。それ故、老人の言葉を嘘であると断言する事もできず、次の行動に移れないでいる。

「何よ、さっきからブツブツと煩いわね。偽善者だろうが何だろうが良いわよ。人を口八丁で騙して攫って行くあんたよりはマシよ」

本気で煩そうにしながら、月華が言った。その目はいつも以上に鋭くなっており、相当怒っている事が見てとれる。忠龍に語った話から考えると、護龍隊の面々は月華にとって数少ない心を開く事のできる仲間だ。その仲間の心を傷付けられて、相当頭にきているらしい。

だが、そんな月華にも臆する事無く、老人は言う。

「それでも、出生と身分を偽っておる公主よりはマシじゃろうて。そうじゃろう? 劉玉香?」

「……!」

月華の顔が、歪んだ。出生は月華にとって、もっとも聞きたくない話題だ。その話を嫌な時に出され、月華もまた押し黙ってしまう。

「偽善者なんかじゃありません! 陛下も、高矗さんも、奏響さんも放風さんも月華さんも、皆さん良い人です! 絶対に、偽善者なんかじゃありません!」

耐えかねたように、智多が叫んだ。すると、待ちかねたように老人が言葉を智多に返す。

「知ったかぶりをするでないわ、小童が。尊敬する祖父を追い掛けて護龍隊に入ったところで、所詮子どもは子ども。大人達に守られているお前に、大人の世界の何がわかる? 軍師補佐だか何だか知らぬが、戦争ごっこはやめにして、子どもは子どもらしく家で論語でも朗読しておる事じゃよ、呉学」

「……!」

ショックを受けたように、智多がその場にへたりと座り込んだ。その目からは、ぼろぼろと大粒の涙が零れ落ちている。だが、誰一人として傍により慰める者はいない。皆、自分の事で一杯一杯だ。唯一何も言われずショックも受けていないのは忠龍だが、その忠龍にしてもあまりに多くの仲間が茫然自失状態となってしまい、何が何やらわからないでいる状態だ。

やがて、文叔がぽつりと言葉を漏らした。

「……ごめんね……」

「え?」

文叔の言葉の意味がわからず、忠龍は文叔を見た。文叔の目は、護龍隊の誰の事も見ていない。どこか遠くを見ながら、消え入りそうな声で呟いている。

「ごめんね。ごめんね……。君だって、死にたくなかったよね。私が、兄さんが死んだ時に悲しかったように、君が死ぬ事で悲しむ人が、きっといるよね。本当に、ごめん……」

それは誰に向かっての言葉だろう。自らが指揮する軍によって死んでいった無数の兵士達か。それとも、自らの剣で斬り殺した、ただ一人の兵士なのか。悲しそうな目で虚空を眺めたまま、文叔はただひたすら、「ごめん」と呟き続ける。

文叔の謝罪の呟きが聞こえる。智多のしゃくり上げる声が聞こえる。高矗と放風、そして月華のギリ……という歯噛みの音も聞こえる。そして、それらの負の感情から生まれる音に、奏響が耳を塞いで座り込んだ。

「何だ……ってんだよ……」

忠龍は、絞り出すように呟いた。

「何なんだよ!? 出鱈目ほざきやがって! お前らもお前らだ! あんなじいさんの出鱈目話で、何落ち込んでんだよ!?」

「出鱈目ではないからこそ、落ち込んでいるんじゃよ」

老人の言葉が、冷たく耳朶を打った。忠龍は、静かに老人を見る。

「本当の口から出まかせを深く気にするような人間はそうはいない。そこにいる連中の中では精々呉学の小童くらいのものか。それが揃いも揃って気にしているという事は、皆少なからず心当たりがあるという事じゃ」

老人の目が、怪しく光った。そして、忠龍に対して更に言葉を重ねていく。

「ケ護、お前は本当にこのままで良いのか? 名を残す事も無く、殺戮者の皇帝を偽善者の仲間達と守り続ける……。お前の人生は、本当にそれで良いのか……?」

「……煩ぇよ」

ぽつりと、忠龍が呟いた。いつもよりも若干低くなっているその声に、老人は眉をひそめる。

「俺の人生は俺の人生だ! お前にとやかく言われる筋合いは無ぇっ! 俺だけじゃねぇ。文叔も、高矗も奏響も放風も月華も智多も! 皆自分なりに考えて自分の人生送ってるんだ! いきなり出てきたお前がケチつけて良いような物じゃねぇんだよ!」

一気に捲し立てると、忠龍はキッと仲間達を見た。まずはツカツカと放風に近寄り、その背中を思い切り蹴り飛ばす。

「痛っ! 何だ! 何をするんだ、忠龍!」

思わず放風が抗議をすると、忠龍はニヤリと笑って言う。

「何だじゃねぇよ。っつーか、お前本気で自分が立身出世の為に護龍隊に入ったのかも、とか思ってんのか? よく考えろよ。本当に出世したいと思ってる奴が、護龍隊に入るわけねぇだろ!」

忠龍の言葉に、放風はハッとした。そうだ。出世したいと思う者は何故出世したいと思うのか考えてみれば、答えは明白だ。

何故出世したいのか? 答えは色々あろう。金が欲しい。部下に威張りたい。名誉が欲しい。煩わしい仕事を下に押し付けて楽をしたい。もっと遣り甲斐のある仕事がしたい。

実は、護龍隊に入るとこの全てに当てはまらなくなってしまう。

金は給料としてある程度貰える。……が、そもそも民間出身者が多い為か、それとも――これは噂なのだが――文叔のポケットマネーから出ているからなのか……その額は決して高くはない。精々が慎ましやかにしていれば数人の家族であれば衣食住に事欠かず暮らしていける程度の額だ。そんなわけだから、護龍隊には副業を持っている者も少なくない。

そして、全員が対等というのが護龍隊のモットーである為、部下に威張る事もできない。何しろ、皇帝すら対等という部隊なのだから。加えて、実は護龍隊に加わった事のある者は公式で任官する事ができないというルールまであったりする。一度でも皇帝と親しくした事のある者が官に就けば、本人の意思は関係無くどうしても贔屓が発生してしまうであろうという考えからだ。だから、護龍隊に入ってしまえば出世どころか下っ端役人になる事すらできなくなってしまう。

歴史に名を残す事は無いと最初から言われているので、勿論名誉を得る事もできず、夜遊び癖のある皇帝陛下のお守りなどという煩わしい仕事を他人に押し付ける事も勿論できない。しかも、一癖も二癖もあるような性格の持ち主ばかりの護龍隊の事。楽をするなんて夢のまた夢だ。

遣り甲斐があると言えばあるかもしれないが、具体的にどういう点に遣り甲斐を感じるのかと問われると、最も長く護龍隊をやっている忠龍ですらはっきり答えられないというのが現状だ。

「それを知ってる奴なら絶対に出世の為に護龍隊に入ったりしねぇし、それを知らずに打算だけで入った奴が護龍隊の中で上手くやってけるわけがねぇだろ!」

忠龍の言葉に、放風は暫しぽかんとなった。そして、呆れたような声で言う。

「それを、頭領自らが言うか、普通?」

「頭領だからこそ、だよ。やる気の無ぇ奴、私欲しか無ぇ奴に入られたら、結局苦労するのは俺なんだ。そういう奴は、あんま知られたくない事話してでも遠ざけねぇとな」

「……確かにな」

そう言うと、放風はククッと笑った。それに応じるようにもう一度ニヤリと笑うと、忠龍は続いて横にいた奏響の頭をぺちんと叩いた。

「!?」

突然の軽い衝撃に、奏響は思わず耳から手を離して忠龍を仰ぎ見る。

「何やってんだよ。らしくねぇぞ、奏響」

目を丸くして忠龍を見詰める奏響に、忠龍は更に言う。

「常に幸せに満ちた音楽や人の声で満たされた世界? 結構じゃねぇか。っつか、よくはわかんねぇけど、そもそもそういう世界を作るのが天帝とか皇帝の仕事なんじゃねぇの? 動機は自分の為でも、結果的には同じ事だろ? 何でそれが偽善なんだ?」

ぽかんと呆けたままの奏響を尻目に、忠龍は高矗に歩み寄った。緊張で硬直した胸に軽く拳を当てて、疲れたように言う。

「お互い疲れるよな、高矗。文叔って普段はああいう性格だからさ、影武者も大変だろ? 本来なら危険を買って出るのが影武者なのに、自分を安全な場所に放置して肝心の皇帝がフラフラと遊びに行っちまうんだからさ。何かあったらと思うと気が気じゃねぇよな。あと、お前って命令するのもされるのも苦手そうだよな。正直、影武者なんかやらせて悪いとは思ってんだよ。けど、お前が影武者をやってくれているから、俺達は安心して洛陽を留守にして、文叔のお守りができるんだ。本当、感謝してる」

「……忠龍……」

驚いたような声で呟く高矗に、忠龍はニッと笑って見せた。そして、そのままととと……と智多の元へ行き、しゃがみ込むとその頭をぐしゃりと撫でた。

「ちっ……忠龍さん!?」

智多が目をぱちくりさせる。忠龍は、そんな智多を更にぐりぐりと撫でまわしながら笑って見せた。

「泣くなよ、智多〜。お前は普段から本当に頑張ってくれてるよ。な? 大人の都合で危ねぇ目に遭わせちまった事もあるし、俺や放風が馬鹿な発言する度にフォローしてくれてるし」

「おい。さり気無く俺を馬鹿扱いするな、忠龍!」

放風の抗議が聞こえてきたが、忠龍はそれを完全に無視して更に言う。

「俺なんて、お前がいてくれなきゃ報告書の内容わかんねぇままだし、お前がいると何か全体的に場が和むし。あ、そうだ。帰ったら、簡単な字を教えてくれよ。な?」

言いながら智多を抱き寄せ、頭を撫でながら背中をポンポンと軽く叩いた。

「ち……忠龍さん……」

智多の顔が、またも涙で歪む。それを抱き上げるとそのまま忠龍は月華の元へと歩いた。そして、その頬を軽く叩いてやる。

「公主だろうとそうでなかろうと、月華は月華だ。そもそも、護龍隊は皇帝だろうと皆平等、が隊内のモットーだぞ? お前の出生がどうの身分がどうの、なんて悪いけど皆どうでも良いと思ってるぞ? 多分」

「……あんた、デリカシーって物が無いの?」

「生憎、字も読めねぇほど馬鹿なんでね」

呆れたような月華の言葉に、忠龍は不敵に笑って見せた。それを見て思い詰めるのが馬鹿馬鹿しくなったのか……月華の身体から緊張が解けていくのが見えた。

そこで、忠龍は一同を見渡した。放風も、奏響も、高矗も智多も月華も顔に生気を取り戻しつつある。それを見て頷いた忠龍は智多を床に降ろすと、一人文叔の背後に歩み寄った。

「……いつまで塞ぎ込んでんだよ、文叔」

忠龍の声に、文叔の呟きが止まる。忠龍は、文叔の背を見たまま言った。

「お前が好き好んで大量殺戮をやるような奴じゃないって事は知ってる。俺達みてぇな、皇帝から見りゃ蟻と同列の民の事も大事に思ってくれてるってのもな」

そこで一度言葉を切り、忠龍は文叔の反応を見た。相変わらず、動きは無い。そこで忠龍は、更に言葉を続けた。

「……悪いって思ってんならさ、その分働けよ。皇帝として働いて働いて、お前が戦って死なせちまった奴が「劉秀を殺さなくて良かった」と思えるような国をつくれよ。遺された家族が苦労しなくても良いような国を作れよ」

その言葉に、文叔がピクリと反応した。その一瞬を見逃さず、忠龍は畳み掛けるように言う。

「いつまでもウジウジしてんじゃねぇぞ、劉文叔! お前が皇帝にならなくたって、いずれは誰かが皇帝になってた! けどなぁ! 俺ら庶民の事を考える事のできる皇帝なんて、お前以外の誰がなれるってんだ!?」

文叔が、ゆっくりと忠龍の方を振り向いた。そして、おずおずと口を開く。

「……忠龍……」

迷うような口調の文叔を見て、忠龍はニッと笑った。そして、その笑顔のまま文叔の頭をガン! と殴り付ける。

「!? !? !?」

何故殴られたのかわからないという顔で、文叔は頭を押さえた。その目にはうっすらと涙が浮かんでいる。どうやら、結構痛かったらしい。だが、そんな様子はお構いなしと言わんばかりに忠龍は怒鳴り付けた。

「こんのアホ皇帝! 明るさと気安さが売りのくせに、何いつまでもウダウダウジウジやってんだ! 今の状況わかってんのか!? 敵の陣中、敵の目の前だぞ!? ウジウジすんのは全部終わって洛陽に帰ってからにしろ! っつか、お前があのじいさんの話術に乗せられたら、何でか全員乗せられちまってウジウジモードになっちまったじゃねぇか! あいつらとお前引き戻すのに、俺が普段言い慣れねぇ事をどんだけ長々と喋ったと思ってんだ!? 口は疲れるわ喉は渇くわで大変だったんだぞ! 洛陽帰ったら瓜でも奢れよ!?」

「今も随分長々と喋ったよね。忠龍にしては……」

文叔が目を丸くしたまま言うと、忠龍は脱力したように溜息をついた。

「良いから。お前はいつものようにへらへらしてろ。その方が俺も気が楽だ」

その言葉に、文叔はくすりと笑った。
「わかった。へらへらしているように心がけるよ。あと、瓜は良い時期に良いのが手に入ってからで良いかな?」

「上等!」

言いながら、忠龍は腰の剣を一息に引き抜いた。それと同時に月華と文叔も剣を、高矗が槍を、奏響が鉄笛を、放風が弓をそれぞれに構えて見せる。

愛用の武器を構えた一同に取り囲まれ、老人は舌打ちをして見せた。

「茨の道を歩む事になるぞ、小僧」

「だろうな。けど、護龍隊に入った時からそれは覚悟してるよ。なぁ?」

目は老人を見据えたまま、忠龍は護龍隊の面々に同意を求めた。すると、彼らは皆、黙って頷いて見せる。

見えずともそれを感じた忠龍は不敵に笑って老人との距離をゆっくりと詰めた。本当は一気に駆け迫りたいところだが、凍りついた床がそれを許してくれないのがもどかしい。

張り詰めた空気の中、先に動いたのは老人の方だった。老人は手にしていた杖を振り上げ、老人とは思えない機敏な動きで忠龍に殴りかかる。

「忠龍、かがめ!」

老人が動き出すのとほぼ同時に放風が叫ぶ。声に反応して忠龍がかがむと、その頭上すれすれを放風の矢が風を切って飛んだ。

矢は老人の杖に突き刺さり、一瞬だけ老人を怯ませる。だが老人はすぐさま態勢を立て直し、矢が刺さったままの杖を縦横無尽に振り回した。すると、高矗が忠龍と老人の間に割り込み、槍の穂先で杖を受け止める。普通に考えれば力の差で高矗が競り勝ちそうなものだが、そこは道士の修業経験があるらしい怪老人。高矗に負ける事無く杖に力を込め、そのまま二人の押し合いが続く。

そこへ忠龍、文叔、月華の三人が剣を突き付けた。そして、その背後には鉄笛を構えた奏響。

武器である杖を高矗に封じられ、三人から首筋に剣を突き付けられ、背後を自らと同じく神行法を扱う奏響に塞がれて逃亡も不可能。もはや打つ手無しと悟ったのか、老人は憎々しげに全身の力を抜き、両腕をだらりと下げた。

どうやら自分達が勝ったらしいと気付いた護龍隊の面々だが、まだ油断はできない。何しろ、この老人の最大の武器は相手の心を傷付けるその口だ。ちょっとの隙が命取りになりかねない。

「……で、このじいさん、どうする?」

判断に困り、忠龍が周りに問い掛けた。すると、周りも同じ心境だったのだろう。返ってきた物は沈黙だった。

「……」

この状況に、忠龍は困り果てた。逃がしたりして放っておけば、またいつ今回のような騒ぎを引き起こすか知れたものではない。かと言って、殺すのも気が引ける。……というか、道士を殺してただで済むとは思えない。更に、道士というからには死んだふりをしてまんまと逃げだすという手が使える可能性だってある。捕まえて閉じ込めておいても、いつの間にか逃げ出していそうだ。

最後の二つに関しては奏響と考福という道士が二人もいるのだから大丈夫だと思いたいのだが、その奏響が先ほどうまい事術中にはまってしまったのを見てしまっているだけに確信が持てない。

どうするか決めかねて忠龍がう〜ん……と唸り始めた、その時だ。

「なら、その身柄、ワシが預からせて頂いてもよろしいですかな?」

突如、足元から湧きあがってくるように声が聞こえてきた。その声に驚き、その場にいた者は老若男女に関わらず足元を見る。すると、凍った床に穏やかな頬笑みを顔に浮かべた老人の姿が映っている。

「!?」

予期せぬ光景に、忠龍達は目を丸くした。そんな中、奏響が驚いたような声を出す。

「あっ。あなたは……」

「知ってんのか、奏響?」

忠龍が問うと、奏響はこくりと頷いた。

「言ったよね? 男女の縁を結ぶ道士や仙人で心当たりが無い事は無いって。それが彼だよ。けど、あの時も言ったように彼は天命を蔑ろにして下界に降りてくるような人物じゃ……」

「何、天帝よりあなた方をお助けせよと命ぜられただけの事ですよ、澄音道人殿。本来ワシが下界に姿を現すのはまだ六百年は先の事ですが……今回は非公式ですから。この場にいる皆さんが一切口外しないでいて下されば、それで充分でございますよ」

新しく現れた老人はニコニコと笑いながら氷から抜け出し、言った。とても先ほどまで氷の中にいたとは思えぬほど血色が良い。……というか、普通の人間ならまず氷の中には入れないし、ましてやそこで喋る事などできないのだが。

「非公式って……」
「今回のこの一連の騒動は書物には残らないのでしょう? ならば問題は無い。そういう事でございますよ」

呆れたような忠龍の呟きにも丁寧に返し、老人はツ……と怪老人に歩み寄った。

「随分好き勝手な事をされたようでございますな……。仙道の修業を積んだ者が天下の事を任せた天子――皇帝の邪魔をするとは何事かと、天帝は非常にお怒りでございましたよ?」

老人は言いながら、懐をまさぐると一本の縄を取り出した。彼はそれを宙に放り投げると、ポンポンと手を軽く叩いた。すると縄は独りでに宙を飛び、怪老人に巻きついていく。

怪老人が身動きとれなくなった事を確認すると、老人は部屋の隅に固まっていた女性達に静かに近付いた。そして、恭しくお辞儀をすると、非常に申し訳なさそうな顔で言った。

「この度は、ワシの身内とも言える者のせいで大変なご迷惑をお掛け致しました。貴女方の心に刻まれた傷を思えば謝って済むような問題ではございませんが……。まずはこの通り、頭を下げさせて頂きとうございます」

そう言って、老人は深々と頭を下げた。そして、頭を上げると言う。

「お詫びと言うには何ですが……貴女方には、今後の人生において誠に良き伴侶を得られるようにさせて頂きましょう」

言いながら、老人は再び懐をまさぐった。すると、その手には数本の赤い縄が握られている。

その縄を見た瞬間、女性達は勿論、奏響と高矗を除く護龍隊と文叔の顔にも緊張が走った。今回の騒動が怪老人の赤い糸≠ゥら始まった事を考えれば、致し方の無い事だろう。

老人は、優しく「本当に申し訳ない」と言いながら、女性達一人一人の足首にその縄を丁寧に結えていった。結えられた縄は少し間をおくと薄らと輝き、やがて霧散するように消えていった。女性達は縄が消えた後を不思議そうに触ってみるが、そこには何も残っていない。

老人は全ての女性に縄を結えると、再び深々と頭を下げ、忠龍達の元へと戻ってきた。そして、またも深々と頭を下げると言う。

「それでは、ワシはこ奴めを引き連れて戻らせて頂きます。……こ奴とワシは元々同じ師の元で学んでおりましてな。縁を結ぶ術も、最初はこ奴と二人で研究していたのでございます。ですが、こ奴は縁を結ぶよりも言葉巧みに人を動かす事に興味を覚えてしまったようでございまして……」

そこで、老人は一度言葉を切った。そして、非常に申し訳なさそうな顔をしながら言う。

「ある日修業を放棄し、行方をくらましてしまったのでございます。近頃派手に動き出した事でようやくこの居場所を掴んだ次第なのでございますが……よもや、仙道の修業を積んだ者が国を崩壊させるべく動いておりましたとは……。誠に、申し訳ございませぬ……!」

恐らくは、自らの話術でどれだけ人を操れるか試したかったのであろう。そして人心を唆して反乱を起こさせ、あわよくば文叔を頂点とする生まれたばかりの王朝を潰そうと図った。

天が定めた天子である文叔を倒す事で、自らの話術が天にも勝ると証明したかったのだろう。と、老人は語った。

つまりは、自らの実力を示したいという怪老人の私欲による騒動だったのだ。それに巻き込んでしまい申し訳ないと、老人は何度も何度も謝りながら去っていった。解けない縄でがんじがらめにされた怪老人を引き連れて、現れた時とは逆に氷の中へと。

その様子を見送りながら、忠龍達は互いに顔を見合わせた。

「……終わった、のか……?」

「恐らくな。あの怪老人さえいなければ、賊徒どもはただの烏合の衆に過ぎん……と思う」

「その烏合の衆も、そろそろ考福が全滅させてる事だろうしね」

言いながら、誰ともなく顔に笑みが広がっていく。終わったのだ。あとは反乱を起こそうとした男達の処分を決め、逃集村で待っている芳萬を迎えに行けば洛陽に帰る事ができる。そう考えると非常に気が楽になり、忠龍は思わず床に座り込んだ。その時に、ふと異常に気付く。

「……何だ、この床……? こんなに濡れてたか?」

忠龍が座り込んだ床は、先ほどまでのような氷ではなかった。氷である事は間違い無いのだが、先ほどと比べてかなり溶けている。氷の上には水が溜まり、その辺りのごみがぷかぷかと浮いている。ただでさえ冷える地域。加えてまだ夜である筈で、おまけにこの部屋には暖をとる為の道具のような物は一切無い。それなのにこれだけ急に氷が溶けていくのは、いくらなんでもおかしい。

「そういえば……前と比べて部屋の中が暖かい気がします……」

「いや、これは暖かいとかいうレベルじゃないぞ? 寧ろ、暑いような……」

智多が不安げに呟き、放風も訝しむように言う。他の面々もきょろきょろと辺りを見渡し始めた。

やがて、何処からかパチパチという物が爆ぜる音が聞こえ始めた。

「ちょっと……これってさ、何かが燃える音じゃない?」

嫌な予感を押し殺しながら、文叔が小声で問うた。その時だ。

黒い煙と共に、赤い炎が部屋の中へと侵入してきた。

「! やっぱり火事!?」

文叔が緊張した顔で叫ぶ。

「……何で今頃火事なんか!?」

わけがわからず、忠龍は混乱した。この館を根城にしていた男達はかなり前から軍や考福に追い込まれており、放火の余裕は無かったと思われる。先ほどの怪老人は今炎が現れたのとは逆の方角から現れたのだから、多分放火はしていないだろう。そうなると、考えられるのは……

「一、賊徒達が火の始末をしていなかった。二、賊徒達が鼬の最後っ屁で火矢を射かけた。三、考福がTPOを考えずに焔の大技を出し、それが飛び火した。四、僕の「放火して賊を焙り出そうか」という言葉に今更言霊が宿ってしまった。どれだと思う?」

「一と四も捨て難いけど、多分三番でファイナルアンサーだろ、これ!!」

忠龍がそう叫ぶ間にも、炎はどんどん燃え広がっていく。このままでは、全員が焼死確定だ。

「無駄に叫ぶのは後だ! とにかく今は逃げるぞ!」

「けど、どこから!? 外へ出る為には、この炎の中を通って入口まで行かなきゃいけねぇぞ!?」

「僕の入ってきた裏口があります! 忠龍さん達が入ってきた入り口とは正反対の場所にありますから、そこからならきっと……!」

智多が言い、忠龍達は顔を見合わせて頷き合った。

「よし! 智多、案内してくれ!」

言いながら、忠龍は智多を抱き上げた。そして、智多が指差した方角へと走り出す。その後に護龍隊の面々が続く。忠龍の後には月華と文叔が続き、その背を比較的元気な女性達が追う。更にその後を怪我を負ってしまっているらしい女性を負ぶった奏響が続き、補佐するように高矗が並走する。最後尾は放風だ。

忠龍は眼前の障害物を蹴り倒し斬り払い、少々手荒ながらも逃げ道を切り開いていく。だが、それでも一行の逃げ足よりも火の手の方が速い。やがて炎は壁を焼き、天井を焼きながら忠龍達に並走し始めた。至る処から、ミシミシメリメリと館が焼かれ崩れていく音が聞こえてくる。熱い炎にまかれながら、一同は背筋を冷やした。

「あっ! あそこです! もうすぐですよ、皆さん!」

智多が身を乗り出し、前方を指差した。見れば、そこには厨房と思われる見た目は少々汚い部屋がある。そして、その奥まった場所には出入り口。そこから吹き込んでくるのだろう。冷たい風が頬を撫でるのを、忠龍は確かに感じた。

風の愛撫に鼓舞され、忠龍は走る速度を上げた。後ろに続く者達も出入り口という目に見える希望に励まされ、床を蹴る足に力を込めた。だが、その時だ。

「きゃっ!?」

短い悲鳴をあげ、一人の女性がその場に倒れ込んだ。慣れない逃走劇に、足がついていかなかったのかもしれない。女性は足を挫いたのか、そこから中々起き上がる事ができないでいる。駆け寄ろうとする放風と奏響を、高矗が制した。

「ここは私が行く。奏響と放風は残った女性達の避難を続けてくれ」

静かにそう言って女性に駆け寄る高矗の姿を見送り、奏響と放風は頷き合う。そして、残った女性達を抱き上げ、もしくは手を引いて、全速力で走り始めた。

本気を出した彼らはあっという間に女性達を外へと連れ出した。それを視界の端で確認した高矗は、目の前の女性を救うべく前方に意識を集中した。

その目に、崩れそうになっている天井が映る。それも、逃げ遅れた女性の真上だ。危機感を強めた高矗は速度を上げ、女性の元へと辿り着く。そして、片腕で彼女を自分の元へ抱き寄せると、もう片方の腕で槍を大きく振るった。宙に弧を描いた槍は崩れ落ちてきた天井を粉微塵に破砕する。

砕け散った天井を見て周囲の状況を確認した高矗は、女性を抱き上げると出入り口へ向かって脱兎の如く駆け出した。

出入り口では、忠龍達が高矗達の脱出を今か今かと待っている。その一同に強烈なタックルを食らわせてしまう事も構わず、高矗は勢い良く外に飛び出した。それとほぼ同時に、館がガラガラと音を立てて完全に崩れ去っていく。焼け落ちた館が尚も燃え盛っている様を茫然と眺めながら、誰かがぽつりと呟いた。

「これで本当に、終わり……?」

その呟きに、明確な答えを返す者はいなかった。







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