護龍の戦士〜夜遊び皇帝と氷下の賢老〜





■十三■





ほーほー、と、どこかでフクロウが鳴いている。地下の牢獄なのだから、近くでない事は確かだ。遠いフクロウの鳴き声をぼんやりと聞きながら、忠龍は暗い瞳で呟いた。

「……静かだな……それに、薄暗くて何も見えねぇ……兄貴も、今頃こんな所に入れられてるのかな……? ……悪ぃ、兄貴。俺、兄貴の事助けられねぇかもしれねぇ……」

「確かに、無理だろうな。君がそんな風に諦めているんじゃ、助けられる人も助けられなくなる」

突如、扉の向こうから声が聞こえてきた。その声に反応して忠龍がガバリと身を起こして見れば、扉の向こうには文叔がニコニコと笑みを浮かべて立っている。

「!? お前、さっきの皇帝と一緒にいた……! いつから其処に……!?」

「ついさっき。君が一人考え事に耽っていたから、気付かなかっただけだよ」

文叔は忠龍の「皇帝と一緒にいた」という台詞に「ん?」と笑顔のまま小首を傾げた。だが、それ以上は何の反応も示さずに、ただニコニコと立っている。

「……何の用だ……?」

ぶすっとした顔で忠龍が問うと、文叔は少しだけ笑みを消して忠龍に問い返した。

「君の兄さんは洛陽の城外で亭長をやってると言ったね? ひょっとして、ケ守の弟かい?」

その問いに忠龍はザッと顔色を変えた。そして、勢い良く立ち上がると、その勢いに任せて格子に掴みかかった。

「あんた、兄貴の事知ってるのか!?」

その問いに、文叔はゆるりと頷いて見せた。

「知ってるとも。何度か世話になった事があるからね。ケ守、字は頑良(ガンリョウ)。何かと厄介事に巻き込まれてしまう運の悪い男だけど、その人柄は本物だ。誠実で、何事にも一生懸命。無実の罪を着せられる事はあっても、自ら罪を犯すような男じゃない」

「そこまで知ってるなら、何でさっきは助け舟を出してくれなかったんだよ!? 真相を探るよう皇帝に進言するとか……!」

忠龍が声を荒げると、文叔は声を落とすようにジェスチャーで制しながら、淡々と言った。

「……考えてもみるんだ。ここで皇帝の権力を使って大々的に調査をすればどうなるか……。君の兄さんを陥れた奴らは自分達に捜査の手が回ってくる事を察知して、証拠を隠してしまうかもしれない。それに、農民一人の為に表立って皇帝の権力を使ったとなれば、小さな事件一つすら皇帝の権力を使わなければ解決できない弱小皇帝≠ニ思われ、世の人々の心は皇帝から離れてしまう……そうなれば、天下は再び争乱の時代を迎えてしまう。それだけは、何としても避けたいんだ。わかってくれ……」

そう言う文叔の顔は少し悲しそうに歪んでいる。だが、それに構う事無く、忠龍は更に声を荒げる。

「けど、それじゃあ兄貴は……!」

「……その為に、私は今此処に来ているんだ」

忠龍の言葉を遮るように、文叔が言った。

「……え? それってどういう……?」

きょとんとした顔で忠龍が首を傾げた。だが、文叔はその問いには答える事無く、更に忠龍に言葉を重ねる。

「君、名前は?」

「? 何だよ、藪から棒に?」

唐突過ぎる問いに、忠龍は怪訝な顔をした。だが、忠龍の表情に構う事無く文叔は笑顔で言う。

「名前がわからなきゃ、呼びにくいだろ? いつまでも君≠ニ呼ぶのはあまり好きじゃないんだ」

「……姓はケ、名は護、字は……忠龍。十八歳」

渋々ながら、忠龍は名乗った。名を聞いた文叔は暫くの間ブツブツとその名を反芻すると、忠龍に向き直った。

「ケ護……忠龍か」

「それで、お前は? 俺も、いつまでもお前≠カゃ呼び難いんだけど」

お返しと言わんばかりに、忠龍が問う。すると、文叔は「忘れてた」と言いたげな顔でにこやかに言った。

「ん? あぁ、そうか。私は文叔。気安く呼んでもらって構わない」

「……文叔? どっかで聞いたような……姓と名前は? 文叔って字だろ?」

忠龍が記憶を振り絞る仕草をしながら問うと、文叔は困った様に笑って見せた。そして、右手をヒラヒラと振りながら言う。

「あぁ、私の姓と名は聞かない方が良いと思うよ。ビックリしちゃうといけないからね」

「はぁ? 何だよ、それ」

忠龍は呆れた顔で文叔を見た。その文叔は、振っていた右手を懐に収めると急に真面目な顔付きになって忠龍に問うた。

「それよりも、忠龍……君は、兄さんを助けたいと思うか?」

「当然だろ!? 血を分けた兄弟なんだ。助けたいに決まってる!」

忠龍が息を巻いて言うと、文叔はその様子に満足したように頷いた。

「……そうか、じゃあ話は早い」

「話は早いって……何が?」

言われた事の意味がわからず、忠龍は文叔に何の事か問おうとした。その時だ。

ガチャリ。

金属音がしたかと思うと、次の瞬間には扉は開け放たれていた。見れば、再び懐から出された文叔の右手にはジャラジャラと音を立てる鍵束が握られている。

「……って……お前何やって……!?」

無断で牢の扉を開けたとなれば、それは重大な違反行為だ。バレれば罰則ものだし、上役によっては死刑にされてしまう場合とてある。そんな場面に居合わせた忠龍は慌てて文叔の行動を制しようとした。だが、文叔はそれを気に留める事無く鋭い声で言う。

「良いから! 早く出るんだ、忠龍。グズグズしていると、君の兄さんは取り返しのつかない事になるかもしれないぞ」

その言葉に、忠龍はハッとして文叔を見た。そして、恐る恐るではあるがハッキリとした声で文叔に問うた。

「……協力してくれるってのか? 兄貴を助ける為に……?」

「言っただろう? 君の兄さんには何度か世話になった事があるって。それに、一般人が何の罪も無いのに捕らえられたという君の話……私情を抜きにしても気になる所がある。折角だから、私情に便乗させて調べさせてもらうよ」

笑みを完全には消さないまま、文叔は言った。その様子に、忠龍はますます混乱してしまう。

「文叔……お前、一体何者なんだ!? 誰に咎められる事も無く牢までやって来る事ができるわ、牢屋の鍵は持ってるわ……そこまでできる立場にいるくせに何度も兄貴――農民の世話になった事があるわ……。謎過ぎるぞ、お前……」

「さぁね。けど、世の中には知らない方が良い事だってある。余計な詮索は、しない方が良いかもよ?」

「……って、言われても……」

忠龍は困ったように頭を掻いた。すると、それを叱責するように文叔は言う。

「とにかく、今は急ぐんだ。罪人として捕らえられている筈の君が牢から出てうろついている所を宮廷内の誰かに見られると、少々厄介だ」

言いながら、文叔はさっさと出入り口に向かって歩き出した。

「えっ? あ、おい待てよ文叔!」

忠龍は慌てて文叔を追う。フクロウの声が、少しだけ大きくなった。







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