灯台下暗し








「どうも、最近は基本をおろそかにし過ぎたのかもしれねぇな」

 校内の自販機前。

 突然そう言いだしたたいおに、真歩は「は?」と短く声を発した。

 とりあえず小銭を投入し、目的のボタンを押す。ガコン、という音がして、取り出し口にコーヒーの缶が落ちてきた。

「基本って、何の事ですか?」

 プルタブを起こしながら、仕方なしに問うた。嫌な予感がするのか、その顔は心なしか引き攣っている。

「いやなに、ここのところ俺達は、主に校外を巡り歩いてきた。だが! よく考えてもみろ! 大事な事を忘れていないか? そう……学校の七不思議という大事な怪談を! よく言うだろう? 灯台下暗し、と! このいつも平和な時を過ごしている学校こそ、実は類稀なる怪奇スポットである可能性が無いと、どうして言い切れる!?」

「あぁ……まぁ……」

 曖昧に返事をすれば、たいおは何をどうポジティブに受け取ったのか、「だろう!?」と勢いよく迫ってくる。思わず、顔面に正拳を突き入れた。

 痛がってごろごろと床をのた打ち回るたいおに、真歩はコーヒーを飲みながら問う。

「つまり、今まであまり注目していなかった学校の怪談ゆかりの場所に行ってみようとか、そういう事ですか?」

「その通り! よくわかっているじゃないかぁ、高橋!」

 こんな事で褒められても嬉しくない、とため息を吐き、真歩は飲み切ったコーヒーの缶をゴミ箱に投げ入れた。

 コーヒーが飲みたくて自販機に来ただけなのに、何故こんな事になってしまったのだろうか……。





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 善は急げ、という事で、たいおはすぐさま真歩を連れて校内を歩き回り始めた。真歩に言わせれば、どこらへんが善なのか、といったところだ。

 善にしろ悪にしろ、普段と違う事を早く試してみたいという気持ちはわからなくもないが。

 しかし、普段と趣旨をを変更したからと言って、そうそう簡単にいつもと違う事が起こるというのはムシが良過ぎるというものだろう。

 体育館は保護者会か何かで使用中だったし、階段は何度数えても増えた気配は無いし、真歩が渋々声をかけても旧校舎の女子トイレから返事は無かったし、同じく旧校舎の廊下にかかった絵画に到っては微笑むどころか山しか描かれていなかった。

「……何故だ。こんなに真剣に取り組んでいるというのに、何故何一つとして怪奇に巡り会わないんだ……!?」

「真剣に取り組めば遭遇するものでもないっての……」

 歯ぎしりをしながら本気で悔しがるたいおの横で、真歩は密かに呟いた。そろそろ付き合い切れなくなってきた、という顔である。

 たいおから視線を外し、真歩は辺りに視線を巡らせた。何かこう……この場で目を楽しませてくれる物はないだろうか。この調子だと、たいおはまだしばらく地団太を踏んでいそうな事だし。

 すると、視界に入ってきたものがある。

 異常なものではないが、ここが学校で、自分が高校生だという事を考えると、やや異常なものだ。

 年の頃は、七つか八つか。小学生ぐらいの女児が、そこにいた。

 女児はしばらく所在無げに辺りを見渡していたが、真歩達の存在に近付くと恐る恐る近付いてきた。それに真歩が笑って見せると、恥ずかしそうにはにかんで見せる。大人しくて恥ずかしがり屋だが、人見知りはしない性格のようだ。

「こんにちは。ここで何してるのかな? お母さんは?」

 腰をかがめて、優しい口調で問うてみる。すると女児は、体育館を指差して見せた。

「ははぁん。これは、アレだな。保護者会についてきたものの、大人の会話に飽きて外に出てきちまった……そんなところだろうな」

 そう言うと、たいおも腰をかがめて女児に視線を合わせた。女児はたいおの顔に一瞬固まったが、すぐににっこりと笑みを返してきた。見た目によらず、中々肝の太い子のようだ。

 女児の笑顔に「ふむ」と頷き、そしてたいおは女児の頭を撫でた。撫でながら、言う。

「よし。それじゃあ、保護者会が終わるまで、俺達と一緒に怪談巡りといくか!」

「何でそうなるんだよ!」

 真歩は思わずツッこんだ。本当は蹴りの一つも食らわせてやりたいところだが、小さな子どもの前でバイオレンスなツッコミはややためらわれる。

「よぉく考えてもみろっ。ここで俺達が目を離したら、この子はどこへ行ってしまうかわからないだろう? 迷子になったり、うっかり校外に出てしまって変質者に会ったりでもしたらどうする!」

 たしかに、誰かが一緒についていてあげた方が安全だ。だが、それなら別にお喋りするなり、この場でしりとりなどをして遊んでやれば済む事ではないだろうか。何故怪談巡りという発想になるのか……。

「ひょっとしたらこれが切っ掛けで、有望な後輩になるかもしれねぇしな!」

「させるか! いたいけな子どもの将来をおかしくするだけじゃねぇか!」

 真歩はなりふり構わずにツッコミを入れ、そしてその威力にたいおは「ぐふぅっ!」と呻き声をあげてくずおれた。その様子を見て、女児はどこが面白かったのか笑っている。ある意味、将来有望かもしれない。

「音楽室! 音楽室のベートーヴェンぐらいなら良いだろう!?」

「良くない!」

 漫才のような言葉のやり取りをし、それにまた女児が笑う。それを、何度繰り返しただろうか。

 どうやら保護者会が終わったらしく、体育館の出入り口付近がざわつき始めた。

 女児も母親の姿を見付けたのか、パッと顔を輝かせて走っていく。駆け寄った母親に、相手をしてくれたお姉さん達の事を話しているのか。真歩達の方を指差している。

 母親らしい女性がこちらに向かって頭を下げた。そして、女児と連れ立って校舎の方へと歩いていく。女児の兄か姉の様子でも見に行くのかもしれない。

「……残念だ。もう少しで幼女を仲間にできるところだったというのに!」

「……言い方。って言うか、本気で小学生を連れ歩いて怪談巡りするつもりだったんですか?」

 呆れた声で真歩が言うと、たいおは「当然だろう!」と胸を張る。そして

「さぁ、怪談巡りを再開するぞ、高橋! 次は、保護者会も終わった事だし、体育館だ!」

 と言って、早々と体育館に向かっていってしまう。その風貌に、まだ残っていた保護者の何人かがびくりと硬直したのを見て、真歩は本日何度目になるかわからない溜め息を吐いた。





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 女児と女性は手を繋いで校舎の方へと歩き、そして途中で進路を変えた。向かって行ったのは、校舎は校舎でも旧校舎である。

 誰もいないそこに入ると、女児は迷わずに一階の女子トイレへと駆け込んだ。

 それを見届けると女性は廊下の壁にかかった、山の絵と向かい合う。そして、まるで窓でも乗り越えるかのように、絵の額縁を乗り越えた。

 額縁の向こう側へと行ってしまった女性はくるりと振り向き、そしてにっこりほほ笑むとそのまま動かなくなる。山しか描かれていなかった絵画は、山を背景に微笑む女性像へと姿を変えた。

 やがて、怖い物見たさだろうか。二人の女子生徒が、恐る恐るという顔で旧校舎に入ってくる。

 女子生徒達は、女子トイレの前まで来ると唾を飲み込み大きく息を吸い、そして意を決したようにトイレに向かって声をかけた。

「……はーなこさーん」

 するとトイレの中からは、「はーい」という可愛い返事が聞こえてきたのだった。















(了)