使者の訪れ





その日……ヘルブ街の中心に位置する、王の居城に、早馬が駆け込んだ。その時には、まだ誰も、思い付きもしなかった。

この早馬が、謁見の間に大いなる混乱を招き寄せ、終いには国の未来を左右する物になるなどとは……。





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「ホワティア国から使者が来る?」

自室で報告を聞き、ワクァは怪訝そうな顔をした。ホワティア国によるワクァの暗殺未遂事件から、早十五年。その後一切動きを見せなくなったので、本当に久々にその名を聞いた気がする。

「今になって、一体何の話だ? まさか、宣戦布告じゃないだろうな?」

「それが……詳細は直接話す、との事で……。それと、話によると使者の一行にはホワティア国の王女も加わっているとか……」

「何だと……?」

信じ難いという顔で、思わず聞き返す。報告に来た者も、困り顔だ。ワクァはヒモトと顔を見合わせると頷き合い、「わかった」と応じた。

「ホワティア国は因縁ある国だが、だからと言って待遇を悪くして良い理由にはならない。王族が加わっているなら、尚更だ。他の国と同様、国賓として迎え入れる準備をしておいてくれ」

「かしこまりました」

頷き、報告者はそのまま立ち上がると去っていく。供応を担当する大臣に伝え、客室などの準備を始めるのだろう。

「……ヒモト、どう思う?」

振り向いて問えば、ヒモトも難しそうな顔をしている。

「情報がありませんので、まだ何とも……。ただ、私達が知っているホワティアらしくないな、とは……」

「たしかにな……」

ホワティアが一方的に要求を突き付けてきた事や、攻め込んできた事なら、十五年以上前までであれば何度もあった。それはヘルブ国だけではなく、ヒモトの故郷であるテア国に対してもそうだ。

それが、今回は使者を立てている。しかも、王女まで加わっているとは……。

「……あまり、良い予感はしないな」

「ならば、ヨシ様を呼ばれてはいかがでしょうか? これまでのホワティア国との諍いには、ヨシ様も幾度となく巻き込まれておいでですから……」

「……そうだな」

頷くワクァに、ヒモトは「それから……」と付け足す。

「その使者との謁見……私も、その場にいさせて頂いてもよろしいでしょうか?」

「ヒモトも?」

渋るような顔をするワクァに、ヒモトは力強く頷く。

「えぇ。使者に加わるという事は、その姫君は己の力量や弁論に自信を持っていらっしゃる事でしょう。そのような女性と全面対決して、その場が無事に収まるとは思えませんから……」

「……どうせ俺は、口喧嘩は弱い」

少しそっぽを向いて見せるが、これまでにも何度も嫌がらせを仕掛けてきたホワティア国の王族と向き合い、冷静に事を終える自信は、たしかに無い。ヒモトが傍にいてくれれば、随分と気は楽だろう。

「そういう事でしたら、私も同席いたします! 聞いた話によると、ホワティア国の王女は私とほとんど変わらぬ歳だとか。ならば、私がいた方が、相手が何を言いたいのか理解しやすいと思いますもの!」

「ならば、私も……よろしいでしょうか、父上? 有事の際には、母上と姉上をお守りしたいので……」

横で聞き耳を立てていたテルとコウが、ずいっと身を乗り出してきた。後ろでは、血気盛んな弟妹をトヨが苦笑しながら眺めている。勿論、既に政務に携わっているトヨは謁見の場に出ない理由が無い。

ワクァは、まだ幼さの残る娘と息子を見て、ため息を吐いた。

「お前達の事だから、禁止してもどうせどこかから侵入してくるんだろう? それなら、最初から目の届く場所にいてくれた方がマシだ」

その言葉に、テルとコウは目を輝かせる。この好戦的な性格は、一体誰に似たのやら。……己か。

溜め息を吐きながら、ワクァは家族一人一人に、各人が注意すべき事を言って聞かせる。

そして後日、謁見の場に出るメンバーを知った者達は口々に言う。

「一人一人が一騎当千の王族全員が出てくる上に、バトラス族の族長も来る?」

「護衛隊長のトゥモもいれば、老いても意気盛んなフォルコもいる?」

「いくら何でも、ホワティアの使者が可哀想なんじゃ……」

そして、全員が口を揃えてこう言った。

「少なくとも、ヘルブ国側がここまで安全な謁見は無いんだろうな……」





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謁見の間に通され、ホワティア国の王女、リターシャは目を丸くした。

広い謁見の間には、何人もの人間。武器を身に付けている者は何人かいるが、物々しい空気は感じられない。多少緊張感が漂っているのは、己がヘルブ国と因縁のあるホワティア国の使者であり、王女だからだろう。

居並ぶ武官らしき者達はそれぞれに強そうだが、特に気にかかったのは、パッと見ただけでは臣下には見えない女性。

四十かそこらといったところだろうか。ライオンの鬣のような色の長い髪を、一本の三つ編みにしている。横には、息子だろうか。同じ色の髪をした、己と同じか、少し上ぐらいの年頃の少年が立っている。そしてどちらも、大きく膨れた鞄を持っていた。

その女性は、のんびりとした雰囲気を纏っているのに、隙が無い。今夜の献立を考えるような顔で王が現れるのを待っているのに、この場の空気全てを把握しているように思える。

なるほど、こんな人間がいる国を相手にしたら勝てないわけだ、と、リターシャは密かにため息を吐く。

そうしているうちに、先触れが王の到来を告げる。殆ど間を置かず、王族専用の出入り口からヘルブ国の王、ワクァが姿を現した。

聞いた話では、リターシャの父であるホワティア王より五つ年上であるという。もう五十に手が届くであろう歳だというのに、噂に違わず、美しい王だ。

三十年前には女と間違えられるほどだったというが、流石に今は男であるとわかる。しかし、中年と言える歳であるにも関わらず、まだ三十代でも通用しそうな見た目であるとは、どういう事なのだろうか。父の言う通り、ヘルブ国王家は魔術師か何かなのだろうか。それでは、世継ぎがいない事を呪いなんじゃないかと父が疑いたくなるのも当然だ。

ワクァの後に、まだ人が続く。第一王子の、トヨ。それに、王妃のヒモトに、第一王女のテル、第二王子のコウ。

コウの姿を見た途端に、リターシャの胸は高鳴る。やはり、この方しかいない……と再確認し、必ずワクァを説き伏せようと心に誓う。

「待たせて済まなかった。……ホワティア国王女リターシャ=ホワスノウティア殿並びに、使者の方々。遠路はるばる、よく来てくれた」

中年の男性にしては少し高めの……しかしよく通る声で、ワクァが声をかける。顔を上げたホワティア国の面々に穏やかな顔を向けている。それは表面上の物で、内心は穏やかではないかもしれない。何しろ、二国の歴史が歴史だ。

だが、そうだとしても怖気づくわけにはいかない。何しろ、リターシャの将来がかかっているのだ。

「詳しい話は直接……という事だったが、この度の来訪は、どのような……?」

「それが、その……」

使者の代表が、ちらちらとリターシャの方を見つつ、酷く言い辛そうに口籠っている。その様子に、ワクァを初め、ヘルブ国の面々は怪訝そうな顔をしている。中には、「何かを企んでいるのではないか」と危ぶむような顔をしている者までいる。

このままでは、話が進まない。その上、ただでさえ良くないこちらへの感情が更に悪化してしまうかもしれない。

そう考えたリターシャは、大きく息を吸い、吐いた。そして、意を決して勢いよく立ち上がる。場の空気が、一瞬にして緊迫した物になった。

「恐れながら、この度はヘルブ国王陛下に重大且つ個人的なお願いがあり、参上いたしましたの」

「お願い?」

ワクァが、怪訝な顔をした。それにリターシャは頷き、ちらりと、ワクァの横に控えているコウを見る。胸が、また高鳴った。

ここまできたら、思い切って、言うしかない。婉曲な言い回しなど、この場にはきっとそぐわない。真っ直ぐに、自分の言葉で伝えるのが得策だと、リターシャは一人で結論付けた。

「実を申しますと、先日国境沿いまで遠乗りをした際に、そこにいらっしゃいますコウ=ヘルブ王子殿下に心を奪われてしまいましたの。そこで、コウ殿下さえよろしければ、是非我が国に婿養子として来て頂けないかと考え、直接お願いしに参った所存ですわ!」

「……は?」

ワクァの口から、唖然とした言葉が一文字だけ飛びだした。ワクァだけではない。その場にいるヘルブ国の面々も唖然とし、辺りはシーンと静まり返っている。

誰かが、「えーっと……」と言葉にならぬ言葉を発した。

「コウを? ホワティアに?」

やっと絞り出した感の否めない声でワクァが呟くと、リターシャは力強く頷く。

「はい! その凛々しいお顔、引き締まった体躯! コウ殿下なら、タヌキ揃いの我が国の重臣達とも張り合えると存じます! 何より、ホワティアとヘルブ国で婚姻が成れば、これまでの緊張した関係は解消され、周辺地域に平和がもたらされますもの! そう思いましたら、居ても立ってもいられず!」

ぶっちゃけてしまったからだろうか。リターシャの視線は、既にコウに吸い付いて離れない。あまりに強い視線に、コウが思わず目を逸らした。

「ちょ……ちょっとお待ちください!」

次に声を発したのは、テルだ。憤慨した様子で、リターシャを睨んでいる……ように見える。

「何なのですか、いきなり! 詳細も告げずに使者をよこしたと思ったら、謁見の間で公開プロポーズだなんて……やって良い事と悪い事が……」

「あ、テルちゃん? そこの国王陛下が、同じような事三十年前にやらかしてるから。謁見の間に加えて、戦場でも。公開プロポーズ」

「ヨシ、話がややこしくなるからちょっと黙ってろ」

ワクァの言葉で、先ほどもっとも気になった女性がヨシだという名前だと、リターシャは知る。なるほど、ヘルブ国最強と言われる戦闘民族、バトラス族の族長とは、彼女の事か。

「テルも、余計な事は言わずに落ち着いて……」

「これが落ち着いていられますか! 突然現れた、どこの馬の骨ともわからない女が弟をくれなどと言っていますのよ? 姉として、弟を守ろうと考えるのは当たり前ではありませんか!」

「いや、馬の骨じゃなくて、ホワティア国の王女殿下だよ、テル……」

トヨが苦笑してフォローの言葉を口にしているが、それでもテルは収まらない。

「大体、ここでコウがホワティアに行ったりしたら、姉であるはずの私が先を越されてしまうではありませんか! お父様? もしコウをホワティアに婿養子に出すというのであれば、まずはその前に、私をリン=リューサー殿の元へ降嫁させてくださいませ!」

「はぁっ!?」

テルの発言に、ワクァが素っ頓狂な叫び声を発する。恐らく、これがこの王の素なのだろうな、と思いつつ、リターシャは事の成り行きを見守る事にした。自分が今この場でできる発言は、全てしたと思う。後は向こう次第だ。

しかし、ヘルブ国側はテルの発言により、ホワティアどころではなくなってしまっているようだ。全員が唖然として固まっている。ワクァは、リンと呼ばれたバトラス族の少年を、少し睨むようにして見ているし、そのリンは放心したようになっている。ヨシだけは、何だかおかしそうな顔をしているが。

「あ……あー……」

誰かが間抜けな声を発し、次いでゴホンという咳ばらいが聞こえた。

ワクァがハッとして、リターシャ達に向き直る。

「……用向きは、よくわかった。すぐに返事をできる事でもないから、まずはこちらで検討する。今日のところは、こちらで用意した客室に下がってお休み頂きたい」

そう言われてしまっては、引き下がるより他に無い。リターシャは目に焼き付けるようにもう一度コウの姿を見、それから謁見の間を退出した。





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「さて……まずはフォルコ。この話は簡単に結論を出せる物じゃない。ウトゥアを呼んできてくれないか? 場所は、俺の部屋で良い」

「御意に」

ワクァの言葉に、フォルコが頷き退出する。六十代半ばになっても曲がらず伸びた背中を見送ってから、ワクァはぐるりと辺りを見渡した。

「次に……テル、何か言う事は無いか?」

「以前から申し上げようと思っていましたが、私、そこなるバトラス族のリン殿をお慕いしていますの。この事は、トヨお兄様とコウも承知の事です!」

「……トヨ、コウ」

何故早めに報告しないんだ、と、その目は言外に言っている。トヨは苦笑しながら目を逸らし、コウは黙って俯いた。その様子に、ワクァはため息を吐き、そしてヨシとリンの方に目を向ける。

「そもそも、バトラス族側はどうなんだ? テルが勝手に言っているだけなら、とてもじゃないが承知はできないぞ」

「両想いなら承知するんスか」

トゥモが茶化すように言うと、ワクァは黙ったままトゥモを睨む。そもそも、己が半ば恋愛結婚だったのだ。娘の事をとやかく言う事はできない。

「そうねぇ。リン、あんたどうなの? テルちゃんの事好きなわけ?」

ヨシがざっくりと問うと、十六歳のリンは恥ずかしそうに視線を逸らす。どうやら、一方的な物では無さそうだ。するとヨシは「ふぅん」と唸り、そしてヘルブ王族側に向かって両腕を広げて見せる。

「想い合ってるなら、別に良いんじゃない? 私的には、テルちゃんなら大いにウェルカムよ! お城から出したくないなら、何なら次の族長は別の子にして、リンをあげちゃっても良いし?」

「母さん……俺、要らない子?」

リンが少しショックを受けたような顔で問うと、ヨシは「やぁねぇ」とおかしそうに笑って見せる。

「要らなかないけど、バトラス族かテルちゃんかで悩むんだったら、バトラス族を出ても良いわよって言ってんの。そりゃ、一番素質があるのはあんただけど、他の子もまぁまぁやるし、やる気も無いわけじゃないもの」

「悩まずとも、私がバトラス族に降嫁すると……!」

「テル、その話は後だ。それと、コウ。お前自身は、ホワティア側の申し出をどう思うんだ?」

当事者の第二王子に話を振ると、コウは少し困ったような顔をしながらも、呟くように言う。

「えぇっと……驚きましたが……あのように、思った事を堂々と口にできる女性、私は、嫌いではないです。成し遂げたい事のために、因縁深いヘルブ国まで自ら出向いてきた度胸などは、寧ろ好ましいぐらいですし……」

その言葉に、ワクァは本日何度目になるかもわからないため息を吐いた。そして、言う。

「ヒモト、トヨ、テル、コウ。それにヨシとリン。後で俺の部屋に来い。ウトゥアも交えて、相談する」

「あら、家族会議に私達がお邪魔しちゃって良いわけ?」

「良いも何も、当事者の一人だろうが」

「ひょっとしたら、あと何ヶ月かで親戚になるかもしれないっスしね」

「……それを言うな……」

楽しそうなトゥモに、本気で疲れた声で言い。そしてワクァは立ち上がった。それを切っ掛けに場の空気が緩み、自然散会の様になる。己には立ち入る隙は無さそうだと見てとった大臣などは、早々に謁見の間を退出していった。

立ち上がりながらふと見れば、テルもコウも、リンも。そして今回蚊帳の外だったトヨまでもが、どこか楽しそうな顔をしている。これから何が起こるかに、どこかワクワクしているような顔だ。

「頼もしいんだか、危ういんだか……わからないな」

苦笑して呟けば、それを耳聡く聞き付けたヨシが「けど……」と言う。

「この様子なら、少なくとも悪い事にはならないんじゃないかしら? そう思わない?」

視線を向けられ、ヒモトも苦笑しながら頷く。どうやら、これは下手に反対をしたら孤立無援になりそうだ。

ワクァは困ったように笑い、そして皆を促して、謁見の間から出た。







(了)











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