温かい手





空にはどんよりとした雲が立ち込め、室内だというのに空気はピンと張り詰めたように冷たい。

今日は昨日よりも寒くなりそうだ、と考えながら、ワクァは窓辺から離れた。冷たい空気によって、少々ぼんやりとしていた頭が急速に覚醒していく。

書類は何が残っていたか。どのタイミングで抜け出し、兵士の訓練に混ざりに行こうか。

そんな事に頭を巡らせながら、手早く身支度を終える。ラクを剣帯に納め「行ってくる」とヒモトに短く声をかけると、今日の予定をこなそうと扉へと向かう。

「ワクァ様、お待ちください」

ヒモトが声をかけてきて、ワクァは足を止め、振り向いた。見れば、ヒモトの手には畳んだ服らしき物が収まっている。

「今日は特に寒くなりそうです。お風邪を召してはいけませんから、これを」

そう言って差し出してきたのは、一着の上着。布が厚く、更に表と裏地の間には綿まで入っているようだ。とても温かそうだと、一目で思う。

その仕立てと、いつも衣装係達が着せたがるような服とは違う落ち着いた色に、ワクァは「ん?」と首を傾げた。

「この上着は、ひょっとして……」

問う眼差しを向けると、ヒモトは「えぇ」と少しだけ恥ずかしそうに俯いた。

「ここ数日、急に冷え込むようになりましたので……恥ずかしながら、針を取らせて頂きました。急ごしらえのため、少々粗いところもあるかもしれませんが……」

「そんな事は……」

無い、と言う前に、ヒモトがワクァの手から、一度渡した上着を優しく取り上げた。広げて、背中にかけてくれる。

どうやら着せようとしてくれているらしいと気付き、慌てて少しだけ屈む。腕を袖に通し、ボタンを留めてくれる時、自然とその手が目に入った。

小さな手に、いくつもの細かな傷がある。アカギレだ。

そう言えば、テア国からヘルブ国に嫁いで来てからというもの、ヒモトはしばしば街に出ては一般の家々を訪ね、家事を手伝っている。

慣れないヘルブ国の文化を知り、身に付ける為であるらしい。その国の文化や風習を知るためには、家事を手伝い、共に食事をするのが一番良いとヒモトは言う。

城中だと、決まった流れを壊してしまいかねない、気兼ねして本当に大変な仕事をやらせないだろうと考え、一般の家庭に出入りする事にしたようである。

ワクァも、王や王妃も、それに異存は無い。時にはそれをダシにして、ワクァ自身が城を抜け出し、街を回っている事まである。ヒモトを迎えに行く姿を見られて、仲睦まじくて結構だとからかわれた事も一度や二度では無い。

そんな具合で、ヒモトは王族であるにも関わらず、よく水仕事をしている。寒い時期になってもそれは変わっていない。アカギレができていても、不思議ではなかった。

そのアカギレを多く作った手に、ワクァは不意に胸を打たれた。

昔、旅をしていた時は、身の回りの事は全て自分でやっていた。タチジャコウ家にいた時も、ちょっとした事なら全て自分でやるようにしていた。

勿論、針仕事だってやった事はあるし、アカギレが出来た事だってある。服の目立たない部分がほつれた時、暖の少ない寒い部屋で、うっすらと血がにじむ指で針を動かしたりもした。

寒さで指がかじかんで、上手く針を操れなかった事。針で布を貫く時、指先に力を込めるせいでアカギレのできた部位が地味に痛かった事は、今でも思い出せる。

ヒモトだって、それらが平気なわけはない。タチジャコウ家のワクァの部屋よりは暖かいとはいえ、全体的に寒い事には変わりない。アカギレの痛みに慣れる事はできても、痛みを感じないわけではない。何より、ここ数日で縫った量は、服のほころびを直すのとは比べ物にならない。

そこまでして、これを作ってくれたんだな、と、上着の襟元を軽くつまむ。もう一度ヒモトの手に目をやれば、アカギレだらけになってしまったその手が、とても愛しく、そして温かそうに見えた。

思わず、上着を離した手で、そのままヒモトの両手を取る。

「……ワクァ様?」

不思議そうな顔をするヒモトに、何と言葉をかければ良いのか。言葉が思い浮かばないまま、もう片方の手を被せる。すると、両手でヒモトの両手を包み込むような形になった。冷たかった二人の手が、じんわりと温かくなっていく。

そう言えば、テア国で初めて互いの気持ちを伝えあった時も、こんな風に少しずつ手が温かくなっていったな、と思い出した。

すると、そのままヒモトに出会った時の事、テア国で起こった事、様々な事まで思い出されてくる。

ふと、言葉が口をついて出た。

現れてくれて。選んでくれて。支えてくれて。

「ありがとう」

その言葉に。

不器用で、感情を言葉にするのが相変わらず下手くそな夫のその言葉に。

ヒモトは目を少しだけ、恥ずかしそうに見開き。そして、微笑んだ。











(了)











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