思春期男児迷走中





タタミの敷き詰められている部屋で、男達が組み合っている。場所は、テア国のとある鍛錬場。その一角で、ワクァは思い切り床に叩きつけられた。

「よろしい。今日はここまで」

綺麗に受け身を取れているのを確認し、ワクァを投げ飛ばした初老の男が頷きながら言う。ワクァは立ち上がると礼を言い、頭を下げた。

今から数ヶ月前。テア国王のクウロは、娘の婚約が決まった時、娘に対してこう言ったという。

「あまりに遅いようでは、そなたが不憫じゃ。弱音を吐くようなら即座に婚約を取り消すと、親書には記しておく。厳しく鍛えられたいのであれば、いつでも当国に送り込まれよ、ともな」

この言葉を本当に書いたのかどうかはわからないが、ある日突然、クウロからヘルブ国に手紙が届いたのだ。

曰く

「ずっと城に籠っていては、気が塞がろう。一度当国に来て、存分に暴れつつ鍛錬なさるが良い」

との事だ。何となく、文面の裏側から「しごいてやるから覚悟しろ」という言葉が透けて見えるのは、気のせいだろうか。

とにもかくにも、旅に出る事ができるというのはたしかに気分転換になるし、テア国に行けば強い剣士がたくさんいるため、手合わせの相手にも事欠かない。それより何より、久々にヒモトに会う事もできる。

……というわけでノコノコとテア国に赴いたところ、案の定、鍛錬と言う名のしごきが待っていた、という具合である。

「お前、たしかに剣の腕前は大したもんだけどさ。時には、剣を使えねぇ時だってあるだろ。剣が使えなくても自分の身を守れるぐらいにはなっておいた方が良いぞ。それでなくてもお前、剣に依存気味だし」

待ち構えていたホウジがそう言って、有無を言う暇も無く鍛錬場に連行された。

「攻撃手段よりも、防御とか身の守り方を覚えた方が良いだろ。ここの先生なら、体が小さくて力が弱い子どもでも自分で身を守れる方法を教えてくれるからな。お前体格的に、自分から攻撃を仕掛けるよりも、他人の力を利用して受け流す方法が合ってそうだし」

そう言われて、即座に指導者に紹介され、その日のうちから練習が始まった。毎日館と鍛錬場の往復だが、これはこれで、中々楽しい。

他の者達がそうしているように、井戸端で汗をぬぐい、水を飲む。そこへ、ホウジとゲンマが生垣の外を通りかかった。手には、竹の皮で菓子を包んだ物を持っている。

「よう、今から帰るところか?」

「あぁ」

ワクァが頷くと、ホウジ達は頷き返した。

「俺達も、今から帰るところなんだ。じゃあ、一緒に行くか」

その提案に応じ、ワクァは急いで帰る仕度を整える。周りに声をかけてから、鍛錬場を出てホウジ達に並んだ。

歩きながらホウジは包みを開き、中から串に刺さった菓子を取り出している。たしか、ダンゴという名前の菓子だったか。

一串手渡され、三人で食べながら歩く。行儀が悪いと怒られそうだが、ホウジは「食べながら歩くのも、買い食いの醍醐味なんだよ」と言って悪びれない。ワクァ自身も、以前ヨシと旅をしていた頃には幾度となく歩き食いを経験している。ヘルブ国でマナーを気にかけてくれている面々には悪いと思うが、全く気にならない。

歩き食べをしながら、その日の事を報告し合ったり、周りの様子を眺めたりする。夕方近いからだろうか。物陰に、人目を忍ぶ男女の姿が時折見られる。

「……そういやさぁ、ワクァ?」

食べ終わった串を回収して竹の皮で包み直しつつ、ホウジが声をかける。振り向くと、ホウジはどこか、いたずらっ子のような顔をしていた。

「お前、春画に興味とか、あるか?」

「シュンガ?」

首を傾げると、ホウジはニヤリと笑う。後ろでは、ゲンマも似たような顔をしているようだ。……嫌な予感がする。

「あぁ、そうか。知らねぇんだな。じゃあ、これも異文化交流だと思って、一度ぐらいは見ておいた方が良いだろうな」

知らない異文化には触れておいた方が良い。その言葉は、一理ある。……が、ホウジとゲンマの表情を見ていると、「頷くな」と脳が警告を与えてくる。……気がする。

「あの……シュンガとは?」

少しでも情報を集めようと問うが、ホウジは「見りゃわかるって」と言って答えようとしない。増々不安になりながら、気付けば三人は、館の内へと戻ってきていた。





# # #





玄関で靴を脱ぎ、足を洗って室内へと上がる。そして、ホウジに促されるままに、ホウジの部屋へと三人で向かった。

途中、ヒモトとすれ違う。ヒモトはいつものキモノとハカマの恰好で、長い袖をタスキという長い紐でまとめていた。手にはホウキを持っている。どうやら姫君であるのに掃除が好きらしく、自らホウキを手にして掃除をしているらしいという事は、今回の滞在で初めて知った事だ。

ヒモトと一言二言、言葉を交わし、廊下を進んで、階段を上る。途中、テア国の第一王子であるセンと出会った。

「あぁ、お帰り。今から部屋へ?」

問われて、ホウジは楽しそうに頷いた。

「えぇ。ワクァに、春画を見せてやろうと思いまして」

「春画を?」

瞬時に、センの顔がどこか曇った。そこでまた不安が増し、ワクァはセンに問うてみる事にする。

「あの……ホウジ……殿が教えてくれないのですが、シュンガとは一体……?」

すると、センの顔はあっという間に苦りきった物になった。

「……ホウジ、ゲンマ。何も知らない客人に、いきなり春画を見せようとしていたのかい?」

「いやぁ、たまには刺激も必要かと思いまして」

「……刺激が強過ぎるんじゃないかと思うけどね……」

そう言うと、センは気の毒そうな顔をしてワクァに向き直る。

「ワクァ殿、良いですか? 春画というのは、その……有体に言ってしまうなら、男女の色事……それも、生々しい部分を描いた絵です」

「……え……」

ビシリと固まったワクァに、センは更に言う。

「たしかに、ホウジ達は勿論、ワクァ殿の年頃の男児であれば、まずほとんどの者が興味を持つ絵ではありますが……ワクァ殿の性格を鑑みるに、あまりおすすめはできません」

そう言うと、「後は本人の判断に任せる」と言わんばかりの顔で、さっさとその場を去ってしまう。その後ろ姿が見えなくなった瞬間、ワクァは後ろから羽交い絞めにされた。犯人は勿論、ホウジだ。

「兄上の介入でバレちまったが、つまりはそういう事だ。お前も年頃なんだし、そういう絵に全く興味が無いわけじゃねぇだろ?」

「いや、俺はそういうのは……」

顔が赤くなっているような気もするし、青くなっているような気もする。その様子が楽しいのか、ホウジとゲンマのニヤニヤ笑いは収まらない。

「照れんなって。あと一年か二年もしたらヒモトと結婚するんだし? 今のうちにそういう知識も少しは仕入れといた方が良いと思うぞ?」

「照れてない! それに、知識としては知っている! ……と言うか、ヒモトの事を意識したら尚更見れるか!」

「ほう……ヒモトの事を大事にしたいと。嬉しい事を言ってくれるじゃねぇか」

一瞬だけ、羽交い絞めにしている腕の力が緩む。だが、「しかし!」という言葉と共に、その腕はすぐにまた締められた。

「それとこれとは話は別で、真正面から見せた時のお前の反応見てみてぇから、やっぱりちょっと付き合えや」

「兄上、発言と表情がすごく下衆いよ」

そう言うゲンマの顔も、結局は楽しそうだ。何とか逃げ出そうともがくが、ホウジの腕はがっちりと締まっていて、抜け出せない。

「甘い甘い。こっちはかれこれ十五年、色んな体術仕込まれてんだぞ? いくら上達が早いと言っても、十日やそこら受け身中心の練習をしただけの奴には負けねぇよ」

そう言って、ワクァをずるずると引き摺りながら歩き出す。

「見るのは断る! さっさと放せ!」

「放す、放す。お前が春画一枚見たら、放してやるって」

笑いながら歩き、そしてホウジは自室の扉であるショウジをすらりと開ける。そして、固まった。

「……兄上?」

不思議そうな顔をして、ゲンマがホウジの顔を覗き込む。ホウジの顔は引き攣り、汗が噴き出している。怪訝な顔をして、ワクァとゲンマはホウジの視線の先を見た。

机がある。その上に、数枚の紙と本が何冊か、積み上げられている。

「あ……」

何が起きたのか、ゲンマはわかったらしい。その顔が、みるみるうちに憐みを含んだ物に変わっていく。

「兄上……やられたね……」

「……ぬかった……」

ホウジの体から、あっという間に力が抜けていく。ここぞとばかりに、ワクァはホウジの腕から抜け出した。その時だ。

「あぁ、ホウジ兄上?」

今来た廊下から、ヒモトの声がする。見れば、掃除道具を片付け終って自室に戻るところらしく、タスキを外した状態のヒモトがやってくる。そして、一瞬だけワクァを見たかと思うと、呆然とするホウジの背中に声をかけた。

「ホウジ兄上、畳の下にいかがわしい本を隠すのはお止めください。床にしっかりとはまっていない上を歩いたりしたら、畳の痛みが早まるではありませんか」

「ヒモト……お前の仕業か……」

ぎぎぎ……と首を巡らせるホウジに、ヒモトは深い溜め息を吐く。

「お嫌でしたら、ご自分で小まめに部屋の掃除をなさってください。それと、嫌がっている相手にあのような本を見せるのは、幾らなんでもあんまりかと思います」

ヒモトの頬が、少しだけ赤い。恐らく、掃除をする際に中身を見てしまったのだろう。

赤くなってしまったのを誤魔化すようにヒモトは首を振り、そしてワクァに視線を遣る。

「夕餉の支度は、もう殆ど済んでいるようです。荷物を置いて、いつもの広間まで早めにお越しください。ホウジ兄上達に付き合う必要はございませんので」

「あ、あぁ……」

呆気に取られているワクァの前で、ヒモトは踵を返し、さっさとその場からいなくなってしまう。

せっかくヒモトが作ってくれたチャンスだ。生かさないわけにはいかない。そう思い、ワクァもそそくさとその場を後にした。

後には、どこの場所に隠せば良いのかと頭を抱えるホウジと、ただ楽しそうにその成り行きを見守っているゲンマだけが残されたのだった。











(了)













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