私の可愛い弟





死んだ父親は己と同じ宮廷占い師で、幼い頃はよく、仕事に行く父親の後を追って、王城に遊びに行ったものだ。

先代の王が早く身罷ったため、ウトゥアが初めて王城に行った時には既に現在の王が即位していた。若い王で、政務が忙しいはずだというのに、その合間を縫っては、中庭で一人遊びをしていた彼女の相手をしてくれたものだ。

王妃はやはり優しく、そして若く、とても美しい人だ。彼女もまた、貴婦人達の相手をする合間に、ウトゥアを呼んではお菓子を食べさせてくれたり、お茶を飲みながら本の読み聞かせなどをしてくれた。

まるで、少し歳の離れた兄と姉のようで。ウトゥアは二人が大好きだ。それは、昔は勿論、今も変わらない。

そんな二人に、いつものように遊んでもらっていたある日。王妃の歩く足音から、別の音――不思議な声が聞こえた気がした。その意味がわからないまま、ウトゥアは二人に問う。

「へいか、おうひさま。おとこのこがうまれるんだね!」

その言葉に、王と王妃は顔を見合わせ、それから慌てて医者が呼ばれた。その時、王妃の懐妊が判明し、そしてそれと同時に、ウトゥアの将来が決まったと言える。修行を積んで、今日のように将来を見通して……王を補佐する宮廷占い師になるべきであると。

その事に、ウトゥアに異存は一切無かった。宮廷占い師になれば、大人になっても王城に通う事ができる。大好きな王と王妃と、ずっと会う事ができると、単純に喜んだ。

それから数ヶ月後、王妃は無事に王子を出産。王子はワクァと名付けられ、伝統通り、その名はある程度成長するまで秘せられる事となった。

だが、全ての人間に秘せられるわけではない。王に近しい人間や、身の回りの世話をする人間には伝えられる。勿論、遊びにきていたウトゥアにも。

「ほら、ウトゥア。ワクァだ。まだ寝てばかりで、ほとんど目を開ける事も無いが……可愛いだろう?」

王妃から赤ん坊を受け取り、しゃがんで。王は、ウトゥアに赤ん坊の顔を見せた。生まれたばかりでまだ少しくしゃりとしてはいるが、既にどことなく、王妃の面影が見える。髪も黒いようだし、きっと成長すれば、王妃と同じような美しい人になる事だろう。男の子が美しい事に、どれほどの意味があるかはわからなかったけれども。

「ねてばかりなの?」

首を傾げて、少しだけ不満そうに問う。ずっと寝てばかりでは、面白くない。そう言うと、王と王妃は揃って苦笑した。

「勿論、そんなわけはないよ。少しずつ大きくなって、そのうち、眠る時間も短くなってくる」

「代わりに、たくさんお喋りしたり、よちよち歩きをしようと頑張り出したりするのよ。……ウトゥア、その時には、ワクァとたくさん遊んであげてちょうだいね?」

王妃の言葉に、王は「そうだな」と頷く。

「血は繋がっていないが、ワクァの事を弟だと思って可愛がってくれ。そうすればきっと、ワクァもウトゥアの事を、姉と思って慕ってくれるだろう」

「わたしが、おねえちゃん?」

その響きに、少なからぬ興奮を覚えて、ウトゥアは呟いた。そして、王の腕の中ですやすやと眠っているワクァの顔をもう一度覗き込む。

「ワクァちゃんは、おとうと!」

そう言うと、王達は思わず噴き出した。

「ワクァちゃん、か。大きくなってから、怒るかもしれないな」

「そういう時は、お姉ちゃんから見たら可愛い弟なのだから、ちゃん付けで良いんだと言ってあげれば良いかもしれないわね」

くすくすと笑う王妃に、ウトゥアはニッコリと笑い返した。そして、ニコニコとした表情のまま、ワクァの額を撫でる。

「ワクァちゃん、はやくおおきくなってね。それで、おねえちゃんといっしょに、いっぱいあそぼう?」

そう言って額を撫で続けていると、それで目が覚めてしまったのか。ふえぇぇ……と、ワクァがぐずり出した。王が慌ててワクァを王妃に抱かせ、王妃は優しい声で子守歌を歌う。

とても、優しい光景だった。





# # #





だが、それからしばらく、ウトゥアは王城に行く事ができなかった。将来、宮廷占い師になる事が正式に決まったためだ。勉強の量が増え、王城に足を運ぶ時間が減った。

二ヶ月か三ヶ月に一度のペースでしか、王城に行く事ができない。行く度に、ワクァは目に見えて成長している。四度目にあった時には、既によちよちと歩くようになっていた。

しかし、どうやら人見知りする大人しい性格なのか……遊びに行っても、王妃の陰に隠れてしまい、中々一緒に遊ぶ事は叶わない。だが、王や王妃に話しかけられると、とても嬉しそうな顔で笑う様子は見る事ができた。

「がんばりますよ! がんばって、いっしょにあそんで……そのうち、おねえちゃん、ってよんでもらうんですから!」

父に言われて使うようになった敬語で、必死に強がって見せる。そうだ、頑張らなくてはいけない。頑張って、立派な宮廷占い師になる。

そうしたら、きっと王と王妃は喜んでくれるだろう。ひょっとしたら、ワクァに「お姉ちゃんはすごいな」と言ってくれるかもしれない。そうすればきっと、ワクァも「おねえちゃん、すごい!」と言ってくれるだろう。

可愛い弟のようなワクァに、そう言ってもらいたくて。ウトゥアは必死に勉強を頑張った。

しかし……結局、その夢は叶わぬ物となってしまう。





# # #





ある日の夕方、父が城に呼ばれて急ぎ出掛けていった。その日、父は遅くまで帰ってこず、翌朝には疲れ切った顔をしていた。

父は、憔悴しきった顔でウトゥアに言う。

「ウトゥア……落ち着いて聞くんだよ。……ワクァ王子殿下が、行方不明になられた」

「……ワクァちゃんが?」

呆然と聞き返すウトゥアに、父は力無く頷く。

聞けば、このような話だ。

ワクァが、城から姿を消した。父は王に呼び出され、行方を占ったが……先を知る事はできなかった。城は今、大騒ぎになっているらしい。

「見付からないの? ワクァちゃん……」

問うても、父からは頷きしか返ってこない。そうしているうちに、父は再び王城へと行ってしまった。ウトゥアは自分の部屋へと戻り、そして、辺りの音に耳を集中させる。

占うのだ。父の占いでわからなかったのなら、己も占ってみなくては。



かみさま、おねがいです。ワクァちゃんのいばしょを、おしえてください。わたしの、かわいいおとうとなんです。



しかし、聞こえてくるのは、ぼんやりとした音ばかり。

焦っているからだろうか。必死過ぎるからだろうか。聞きたい音が、何一つ聞こえてこない。

悔しさで、涙が出た。自分がもっと大きかったら、大人だったら。たくさん勉強をして、立派な宮廷占い師になっていれば。そうしたらきっと、すぐに見付け出せるのに。

己の力不足が悔しくて、ウトゥアはぼろぼろと涙を流した。





# # #





それからすぐに、父が亡くなった。どうやら病を得ていたようで、ワクァの行方を占う事ができなかったのも、このためではないかと思われる。

父がいなくなってからも、ウトゥアは勉強を続けた。寧ろ、それまでよりも一層、よく学ぶようになった。

早く立派な宮廷占い師になって、王と王妃の力になりたかったから。そして、一刻も早く、ワクァを見付け出したかったから。

それと同時に、いつでも楽しげに振舞えるように努めた。何かを必死に聞き取ろうとすれば、逆に大切な音が何も聞き取れなくなってしまう。ワクァを見付けたくて、必死に音を聞こうとしたあの時のように。

大切なのは、いつでも心に余裕を持ち、聞こえてくる全ての音を受け入れる事。そうする事で、様々な情報が入ってくる。大きな情報一つではわからなかった事も、小さな情報で補足されればその全貌が見えてくる。

だから、いつも楽しそうに振舞った。そしていつしか、努めなくても、ちょっとした事でも面白く感じるようになった。

そうしているうちに、十何年もの時が過ぎ。無事宮廷占い師となったウトゥアは、ある日王に呼び出された。

聞けば、ワクァがいなくなった日の夢を見たのだという。そして、急に様々な事が不安になったらしい。ワクァの安否、国の将来、その他にも、色々と。

そこで、ウトゥアは占った。知りたい事をぼんやりと考えながら、耳を澄ます。すると、意外な音が耳に届いたのだ。それも、いくつも。

その音を組み合わせて考え、そしてウトゥアは、一つの結論に至った。



ここで一石を投じれば、ワクァちゃんを取り戻す事ができる。



そこでウトゥアは、一つの歌を王に献じた。



国の安泰得たいなら

旅に出るのが一番だ

ヘルブの民が拾った宝

それに出逢えりゃ片が付く



ふざけてはいるが、そこに含まれる単語には聞き捨てならない物がいくつも混ざっている。歌いながら、ウトゥアはさり気無く辺りの様子に目を配った。

宰相のクーデルが、何やら苦い物を噛み潰したような顔をしているように見える。

怪しいな、と思いつつ歌い切り、そこでウトゥアは更に耳を澄ました。そして、今後己がどうするべきかを知る。

やがてウトゥアの歌を元にお触れが出される事となり、ヘルブ街に住む民の何十人かが、宝を探す旅に出かけたらしいとの噂を聞いた。

それから数ヶ月後、ウトゥアはこっそりと王に目通りを願い、占いから得た情報と、己の願いを王に話す。

どうやら、タチジャコウ領では、王が昔出した奴隷解放令を未だに守らず、奴隷を使用しているらしい。そこで、こっそりとその調査に行きたい。

「この調査を内密に行うには、占いから得た相当量の情報が必要です。それを漏らさず人に伝えるのは、流石に難しい。だから、その調査を私に命令して頂きたいんですよ、陛下」

ひょっとしたら少しぐらいは疑ったかもしれないが、それでも王は快くその願いを聞き届け、ウトゥアに内密にタチジャコウ領の調査を命じてくれた。

命を受けながら、ウトゥアは心の中で呟く。

「絶対に、ワクァちゃんを陛下と王妃様の元に戻してみせますから。ですから、もう少しお待ちくださいね……」





# # #





そうして、旅に出て数日。道を歩いていたところ、強盗に襲われている初老の男性を見付けた。強盗達の怒鳴り声から、また別の声が聞こえてくる。

その声に「なるほどねぇ」と呟き、ウトゥアは躊躇う事無く、強盗達と男性の間に割って入った。

「なっ……何だてめぇは!」

「名乗る必要は無いよ」

どうせ、君達はすぐに捕まってしまうんだからね。私が歌えば。

その言葉を飲み込んで、ウトゥアは占いの歌を紡ぐ。



スタコラサッサと逃げるが良いさ

それができなきゃ痛い目みるぞ

勇者はそこまで来ているぞ

一人は美貌の聖騎士様だ

銀のつるぎが闇を斬る

闘神宿りし聖女もいるぞ

清きその手で武器を取り

宙を舞い飛び悪を討つ



強盗達も、助けようとしている男性も、怪訝な顔をした。そして、先に我に返った強盗が、「ふざけてんのか!」と怒鳴りつけてくる。

その声に、ウトゥアは目を見開いた。

怒鳴り声から聞こえた、もう一つの声。その声が、たしかに告げている。

近くにいる、と。

やがて、二人分の足音が聞こえてくる。その音が、ウトゥアに告げていた。



彼だよ! 探しているのは、彼で間違いないよ!



その声に、ウトゥアの鼓動が次第に高まっていく。その鼓動も、足音と同じ声を聞かせてくれる。

やがて、明るい少女の声が響き渡った。

「はい、そこでストーップ!」

少女が投げたらしい石が頭に当たり、強盗の一人が倒れた。見れば、ライオンの鬣色をした髪の少女がいる、どうやら、バトラス族だ。

「なっ……何だお前ら!?」

強盗達が面食らっている間に、少女と、少年がこの場に到着した。その少年の顔を見て、ウトゥアは確信する。

間違いない。

嬉しさと興奮を抑え、更にそれを隠すように、ウトゥアは言う。

「さぁ、聖騎士様と聖女様の到着だ。痛い目を見る前に泣いて謝って逃げ帰るのが得策だと、私は思うな」

「うるせぇ! 何が騎士だ。何が聖女だ! 小娘二人に何ができるってんだ!」

「誰が小娘だ!」

強盗の怒鳴り声に、少年が不機嫌そうに怒鳴り返す。どうやら、人見知りで大人しかった可愛い弟は、随分と好戦的な性格に育ったらしい。

その事に内心苦笑しつつ、ウトゥアは、十六年間会えなかった彼を、今後どうやって可愛がり、甘やかそうか。そんな事を考え始めていた。








(了)














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