旅の初めのその夜に





旅の連れができて、初めての夜。宿屋の部屋に荷物を置いたヨシは、「ん?」と首を傾げた。

今日から一緒に旅を始めたはずのワクァの姿が、部屋の中に無い。一部屋しか取っていないのだから、別の部屋にいるなど有り得ないはずなのだが。

少ないとは言え荷物があるのだから、そのまま物珍しさにどこかへ行ってしまったとも思えない。第一、彼は少し前まで重体の怪我人だったのだ。旅ができるほどに体が回復している時点で奇跡的なのに、休むべき夜までウロウロと歩き回れるほどの体力が残っているとも思えない。

まさか、受付からこの部屋に来るまでの間に体力が尽きて行き倒れでもしたのだろうか。心配になって、ヨシは探しに行こうと部屋を出る。そこで、怪訝な顔をして固まった。

扉を開けたすぐそこに、ワクァがいたのだ。荷物を持ったまま、扉の横に控えている。

「……ワクァ。あんた、何やってんの……?」

問うてみれば、ワクァはワクァで怪訝な顔をしている。

「俺のすべき事は護衛だ、という話だっただろう? 護衛なら、部屋の外で警戒をするのが当たり前だと思うが……」

その言葉に、ヨシは頭を抱えた。

そこからか。真に旅の道連れにするには、そこから認識を改めさせなければならないのか。ヨシは「あのねぇ……」と呆れた声を出す。

「護衛っていうのは、言葉の綾! 私としては、誰かと一緒に旅をして、歩きながら喋ったり、見掛けた物について意見を交わしたりできればそれで良いのよ。……と言うか、夜はちゃんと休みなさいよ。夜中に私を襲撃するような物好きがいるとは思えないし、第一まともに休まずに旅を続けたらあっという間にぶっ倒れるわよ!」

そう言ってワクァの腕を掴み、部屋の中へ連れ込もうとする。すると、ワクァはワクァで足に力を籠め、ヨシに抵抗した。

「そうは言うが、二部屋取るほどの金銭的余裕は無いだろう! 俺はともかく、お前はまずいんじゃないのか!?」

「へ?」

言われて、ヨシはしばらくきょとんとして言われた意味を考えた。そして、「あぁ」と合点したように手を打って見せる。

「そう言えば、男だったわね、あんた」

その瞬間、ワクァは無言で拳を振るった。それをひらりと躱し、ヨシはからかうように言う。

「だーれが、最近まで重体の怪我人だった、見た目お嬢さんの野郎に襲われる心配をしますか! 大体、アンタ色恋沙汰とか、そういうの興味無いでしょ、どう見ても! くそ真面目そうだから結婚相手以外に手を出すとかもできなさそうだし? どこに心配する要素があるって言うのよ!」

「声が大きい! あと、少しは発する言葉に恥じらいを持て! お前本当に年頃の娘か!?」

そう言われたところで、ヨシは「うむ」と頷いた。

「やや不本意ながら、ワクァも私の事は女として見えていない、と。そして私も、ワクァの事を異性として全く意識していない。互いに相手を異性と思っていない。つまり、同室で寝ても問題無しという事で!」

「どういう理屈だ……」

疲れた様子で呟き、そして観念した様子でワクァは部屋の中へと足を踏み入れた。二つあるベッドのうち、窓際の一つには既にヨシの荷物が置かれている。

ワクァは扉に近いベッドに荷物を置き、そして腰掛けた。強がってはいるが、やはり二週間以上寝込んでいた事による体力の低下は否めない。柔らかい布団の感触に、ホッと息を吐いた。

その様子に頷いてから、ヨシは「じゃあ早速……」と口を開いた。どうやら、誰かを相手に喋りたい気分らしい。

「この町に着いてから、しばらく自由行動にしてたじゃない? どこに行って、何やってた? 待ち合わせ場所に先に戻ってきたって事は、あの辺りをウロウロしてたとか?」

タチジャコウ家を出て旅を始めたのは、今日の朝。病み上がりのワクァにあまり長距離を歩かせるわけにもいかないだろうという事で、タチジャコウ領を出てすぐの町に着くと、ヨシは「今日はこの町に泊まるという事で!」と即座に決めた。

頑張ればもっと先の町へも行けるだろうが、特にあてのある旅ではない。急ぐ必要は無いのだから、体調がイマイチな時には、のんびりとマイペースに進んだ方が良い。

「とりあえず私は食料品店を色々見て、雑貨屋を覗いて。可愛いお菓子を売ってる露店があったから、そこでちょっとお菓子を買って広場で食べたりしてたわ。ワクァは?」

お手本を見せるかのように喋って、それから話を振る。……が、ワクァは何故か困り果てた顔をしている。面白おかしく話せとは言っていない。自由時間に行った場所を、思い出すままに報告すれば良いだけなのだ。タチジャコウ領での働き方を見るに、報告活動はできるはずなのだが……。

「……まさか、どこにも行かず、あそこで待ってたなんて事は……」

嫌な予感がして、ヨシは恐る恐る問う。すると、ワクァはすい、と目を逸らした。図星のようだ。

「……え、何で? 折角自由になったのに? お金も、ニナンくんから貰ったから、少しならあるでしょ? ひょっとして、うろつく事もできないぐらい体調悪かった?」

心配になって、顔を覗き込む。ワクァは、居心地が悪そうに再び目を逸らした。

「いや、その……自由にしろと言われても、何をすれば良いのかわからなくてな……」

その言葉を聞いた瞬間、ヨシは再び頭を抱えた。つまり、ワクァは自由時間の間、己がどこへ行ったら良いのかもわからず、同じ場所でヨシの帰りを一人待っていたという事か。

「……アンタが、よぉっく躾けられた犬みたいな性格だって事は、わかったわ……」

呆れた声で言い、「じゃあ……」と言葉を続ける。

「明日は、もう一日この町に滞在して、自由時間を好きなように過ごす練習をする事にしましょうか」

「練習?」

不思議そうな顔をするワクァに、ヨシは「そう!」と頷いた。

「明日だけは私も付き合うから、一日使ってワクァの行きたいところに行くのよ。どこに行きたい? 趣味は?」

「行きたいところと言われてもな……趣味というなら、リラの手入れか……?」

ヨシは、三度頭を抱えた。ただ行きたいところに行けというだけの話だというのに、手強過ぎる。

「じゃ、じゃあ……欲しい物とか無いの? 今、殆ど何も持ってないでしょ? 服とか……」

「別に今の服だけで困っていないが……」

予備も併せて二着しか無いのにか。

「お菓子……」

「特に必要性を感じない」

「少しは興味を示しましょうよ……」

疲れたように言い、「なら……」と攻め方を変えてみる事にする。

「欲しい物じゃなくて、必要な物。何か無い? 今日一日旅をしてみて、あった方が良さそうだなーって思った物!」

「必要な物……」

そう言われて、初めてワクァは思案顔になった。そして、「あ」と小さく呟く。

「……持ち歩けるサイズの砥石と、研ぎ油が欲しい、ように思う。今まで使っていた砥石は流石に重くて持ってこれなかったし、研ぎ油は消耗品だからな……」

「それね」

ホッとした様子で頷くと、ヨシは窓の外に視線を遣った。

「明日は朝起きたら、まずは武器屋に行きましょう。そこで砥石と研ぎ油を見て……他には? 必要だな、と思う物!」

問いを重ねられ、ワクァは困ったように考える。そして、何かに気付いた顔をすると、言い出し難そうな顔をした。

「その……ヨシに相談して良い事なのかわからないんだが……」

「良いわよ良いわよ、何でも訊いて!」

上機嫌に言うヨシに、ワクァは少しだけ口籠ってから、言った。

「この先の旅の事を考えると、何か金銭を稼ぐ手段を身に付けたいんだが……」

「あぁ、たしかにそれ、必要ね」

あっさりと頷き、ヨシは「じゃ、明日行きましょうか」と言う。

「……どこにだ?」

「え? わかんないの?」

「わからないから訊いているんだが……」

少しだけ不機嫌そうな顔になったワクァを、ヨシは「まぁまぁ」と宥める。

「ギルド。どう?」

「ギルド?」

ワクァが首を傾げ、ヨシは「そう」と頷く。

「一ヶ所で名前を登録しておけば、どの町でも、いつでも仕事を探す事ができるのよ。結構護衛とか山賊退治とかの依頼もあるし、ワクァにピッタリなんじゃないかしらね? 剣の腕には、自信あるでしょ?」

「まぁ……」

曖昧に頷くワクァに、ヨシは「決まり!」と叫んだ。

「明日は武器屋とギルドに行って、買い物と登録! その途中で他に欲しい物を思い出したり、興味のあるお店を見付けたりしたら行き先を増やすって事で! それで良いわね?」

「あぁ……」

どこか申し訳無さそうに頷くワクァに、ヨシは少し苦笑して見せた。

「そんな顔しなくて良いわよ。ワクァを旅に誘ったのは私なんだし。今は難しいかもしれないけど、少しずつできるようになれば良いじゃない。自由時間に好きな場所へ行くのも、欲しい物を考えて買い物するのも」

その言葉に、ワクァは控えめながら頷いた。

こうして、少しずつ本当の旅の仲間になっていけば良い。

どれだけ先の事になるかは、わからない。だが、一緒に旅を続けていれば、いつかは……。

その〝いつか〟の様子を想像し、ヨシは思わず、顔を綻ばせた。












(了)














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