亡国の姫と老剣士





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「フィル爺ちゃん、フィル爺ちゃん……。勝ったがね。ティグ兄ちゃんが、ヘイグに勝ったがね! これで全部終わりゃーすよ。お姫さんの呪いは解けて、お姫さんは自由になるがね!」

フィルの耳元で、パルが囁きました。囁くと言うには大きな声だな、と、三人の元に戻ってきたティグは苦笑します。そして、フィルの前に跪くと言いました。

「……パルの言う通り、これで全部終わりますよ、フィルさん。それに……姫様も」

言いながら、ティグはひょい、と視線を後方に向けました。そこには、今まで一部始終を見守ってきたメイシア王女の姿があります。

「姫様!? そこにおられたのですか!?」

少し慌てた声でフィルが起き上がろうとすると、ティグとパルはそれをくすくすと笑いながら制止しました。そしてティグは、微笑んだまま王女に頷きました。王女は、少し躊躇いながらも微笑み、フィルの横に腰を下ろしました。そして、フィルの状態を起こして腕の中に抱きかかえます。

「ひっ……姫様!?」

思わぬ行為にフィルが目を白黒させると、王女はくすりと笑いました。

「やっと、会う事ができましたね……ニール」

王女の瞳から、一滴の涙が落ちました。落ちた涙はそのままぽたりと、フィルの顔を濡らします。フィルもまた、微笑みました。

「本当に、お久しゅうございます、姫様。六十年もの時をお待たせしてしまい、申し訳ございません……」

「いいえ。私こそ、貴方との約束を破ってしまいました。囚われた時には、貴方が助けに来るのを待つと申しましたのに……」

少し悔しそうに、王女が言いました。その表情に、フィルは思わず笑います。そして、笑った直後に激しく咳き込みました。口から、血が溢れ出します。

「フィルさん!」

「フィル爺ちゃん!」

「ニール!」

ティグ達が、三者三様の呼び名でフィルを呼びます。

フィルは、暫く咳き込むと右手を上げ、パルに向かって手招きをしました。パルは、不安そうな顔をしながらフィルに近付きます。すると、フィルは右手をパルの頭の上に乗せ、そのままくしゃくしゃとパルの頭を撫でました。突然の事に、パルはきょとんとフィルを見ます。

「……今まで、危険な事に巻き込んできて済まなかったな、パルペット。じゃが、お前やティグニールの言う通り、全ては終わった……。これからは、平和な世界で生きてくれ。魔法使いとしてでも、薬売りの商人としてでも……」

「何を言っとるかね、フィル爺ちゃん……。そんな、遺言みたいな……」

震えながら、パルが言いました。すると、フィルは子どもを見守る大人の顔で言います。

「お前を助けに行ったのは、もう五年も前じゃったか……。最初は、ただの正義感からの行動じゃった。大恩ある護衛騎士団長、セオ・フィルグ・ゼクセディオン様の子孫を放っておくわけにはいかない、というな」

フィルの言葉に、パルはじっと耳を傾けます。フィルは血を吐きながらも、言葉を続けました。

「じゃが、お前と一緒に旅をするうちに……不思議な感覚に陥っていた。妻も子も無い私に、突然孫ができたような、な……。お陰でこの五年間、あんな状況じゃったと言うのに、とても楽しかった。……ありがとう、パルペット……」

「フィル爺ちゃん……」

パルの瞳に、再び涙が盛り上がりました。それを右手の指で拭い取りながら、フィルは視線をティグに向けます。

「ティグニール」

「……はい」

名前を呼ばれ、ティグは緊張した面持ちで答えました。フィルはそんなティグを頼もしい者を見る目で見詰めます。

「最初会った時には、君には随分と不安を感じたものじゃ。あの時の君は、ただ騎士に憧れ、騎士としての理想を追うだけの若者じゃった。行動力はあるから、いつ暴走するかと心配でな。実際、君は無謀にもヘイグに戦いを挑んで、一度はボロボロになってしまった」

「……はい」

苦笑しながらのフィルの言葉に、ティグは素直に頷きました。そんなティグに、フィルは言います。

「じゃが、君は逃げなかった。魔獣達と戦った時も、ヘイグと戦った時も。君は逃げずに戦い続け、終にはセフィルタを……ツィーシー騎国一の騎士に受け継がれてきた聖剣を、一人で振るう事ができるようにまでなった」

「フィルさんとパルがいたからです。僕一人だけだったら、きっとセフィルタを振れるようにはならなかったし、ヘイグを倒す事もできませんでした……」

その言葉に、フィルは頷きます。

「そうかもしれん。じゃが、それでも最後にセフィルタを扱えるようになったのは君の力じゃ。今の君なら、私が君に頼みたかった事……この国の未来も、安心して任せる事ができる。……強くなったな、ティグニール」

「……フィルさん……」

言葉が見付からず、ティグはただフィルの名を呼びました。すると、フィルは全て承知していると言うように、頷きました。そして、そのまま視線を上に向け、王女の顔を見ます。

「姫様、六十年の間、よくぞ御無事でいて下さいました。不肖ガルフィルド・ニール・エタルニアン……これに勝る喜びはございません」

すると、王女はフィルの額を優しく撫で、諭すように言いました。

「言ったではありませんか、ニール。私の事は、リルとお呼びください、と」

その言葉に、フィルはちらりとパルとティグを見ます。

「ですが、姫様。それは……」

二人きりの時だけでは、と言いかけて、フィルは口をつぐみました。王女の……メイシアの顔が、懇願しているように見えます。フィルは、少しだけ苦笑すると、微笑みました。そして、優しい声で言います。

「わかりました。それでは……申し訳ありませんが、私は一足先に行かせて頂きます。今度は、私が貴女をお待ちする事になりますが……慌てる必要はございません……リル」

それだけ言うと、フィルは大きく咳き込みました。大量の血が、ごぽりと口からこぼれ出ます。

「ニール!」

メイシアが、フィルの名を呼びました。しかし、フィルはもう動きませんでした。胸を血に染めながらも、顔は安らかに微笑んでいます。最期の最後に幸せそうな笑顔を遺し、フィルは旅立ちました。

「フィル爺ちゃん……ありがとだがね。ありがとだがね、フィル爺ちゃん……」

パルの嗚咽が、次第に大きくなっていきます。それにつられるように、メイシアのすすり泣く音も聞こえ始めました。

それらを、ティグは黙って聞いていました。折角、強くなったと言ってもらえたのです。ここで泣いてはいけないと、ティグは思いました。

ですが、堰を切ったように泣き出したパルの声に、ティグの眼からも涙が溢れ出始めました。涙は、拭っても拭っても止まる事無く、溢れ続けます。

ティグは、涙でぼやけた眼で、メイシアとフィルを見ました。メイシアが、別れを示すようにフィルの額に軽くキスをしました。それでも、フィルが物語のように蘇る事はありません。フィルが蘇る代わりに、フィルからティグに向けられた最後の言葉が、ティグの脳裏に蘇ります。

「……強くなったな、ティグニール」

その言葉に、ティグは首を横に振りました。

「全然、強くなってなんかいませんよ。僕は弱くて、貴方が死んでしまっただけで涙が止まらなくなるような泣き虫で……。騎士としては、まだまだです」

涙を拭いながら、ティグは言葉を続けました。涙で、時折声が詰まります。

「だから、もう一度目を開けてくださいよ。目を開けて、僕に騎士の何たるかを教えてくださいよ。それで、僕が本当に強くなったところをその目で見てくださいよ、フィルさん…………フィル……!」

それだけ言いきると、ティグもまた、堰が切れたように大きな声で泣き出しました。

暗く静かな玉座の間に、泣き声だけが響きます。三人は懸命に生きてきた老剣士を囲んで、ただひたすら、泣き続けました……。










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