亡国の姫と老剣士




18





翌朝早く起きた一同は、朝食を摂り身支度を整えました。武器の手入れに手抜かりは無いかを確認し、宿を出ます。ティグは剣を、フィルはセフィルタを、パルはありったけの薬を詰め込んだ鞄と魔法の杖を持って、花咲き乱れる緑の丘を登りました。

その日は、とても良い天気でした。青い空の所々に白い雲が漂い、時折小鳥たちが囀りながら何処かへ飛んでいきます。

丘の上からは、下に広がる元ツィーシー騎国領が一望できました。ティグは思わず家族の家を探しました。パルは元ツィーシー騎国領を見ていたと思えばマジュ魔国の方角を見たりと、あちらこちらをきょろきょろと眺めています。そしてフィルは、相変わらず懐かしそうな……それでいて寂しそうな目で元ツィーシー騎国領の王宮を眺めていました。

暫くの間、そうやって遠くを見ていたでしょうか。辺りが急に暗くなり、三人はハッと我に返りました。次いで太陽とはまた違う光に身体を照らされ、三人は一斉に空を仰ぎ見ます。

そこには、煌々と光る炎を身に纏った巨鳥が空を舞っていました。巨鳥と言っても、人の身体よりも大きな姿をしているわけではありません。それでも、鷹や鷲のような猛禽類と比べても負ける事の無い、大きな身体を有しています。

その姿を見た瞬間、ティグの背筋にぞくりと悪寒が走りました。あの姿は、忘れようがありません。間違い無く、ヘイグの居城でティグを追い詰めた、あの炎の鳥です。

ティグは、思わず後ずさりをしました。膝が震え、腰が抜けそうになります。すると、フィルとパルがぽん、とその肩を叩きました。

「臆するな、ティグニール。奴は、絶対に倒せる」

「今度は、自分とフィル爺ちゃんも一緒に戦うがね。ティグ兄ちゃん一人じゃあらせんし、こないだみたいにはなりゃーせんよ」

力強いその言葉に、ティグはこくりと頷きました。いつの間にか、膝の震えが消えています。悪寒が消えていくのを感じながら、ティグはすらりと剣を抜き放ちました。上空を見上げ、炎の鳥を正視します。

ヘッ! 好き勝手言ってくれるじゃねぇか! 俺を倒す? ハッ! 寝言は永眠してから言いやがれ、くそ爺!

上空から、落雷のようにサウヴァードの声が聞こえてきました。まるで、火事場の燃え盛る炎のような声です。その声に、フィルが顔を顰めます。

「随分と口の悪い魔獣じゃな。ノスタートゥルも口が悪かったが……比べ物にもならん」

ガキんちょ共の情操教育に悪影響だとか思うんなら、初めっから俺んトコなんかに連れてくんなよ、爺さんよぉ。俺が求めてんのは熱く激しい戦いのみ! 情操もへったくれも無いぜ?

軽口を叩きながら、サウヴァードは急旋回をすると一気に地上へと向かって下降を始めました。パルは慌ててその場を離れ、ティグとフィルはギリギリまで待ったところで後へと飛び退きました。サウヴァードが着陸した瞬間にその場でパッと火の粉が舞い散り、丘の表面を覆っていた草原が赤茶色に焼け焦げます。

「一瞬で……!」

「流石に、ヘイグに貸せる力を持つだけの事はある、か……」

焼け焦げた地面を目の当たりにしてティグは息を呑み、フィルは唸るように言いました。すると、その背後からパルの声が響き渡ります。

「何を深刻な顔をしとるかね! サウヴァードは炎の鳥! 炎が水に弱いのは子どもでも知ってる事だがね! 思いっきり水をかけたれば、きっと簡単に倒せるがね!」

そう言うパルの手にはスコップが握られています。その足元には、この数十秒の間に急いで掘ったのでしょう。少し斜めに奥へ向かっている穴が開いています。

パルは魔法の杖で穴の淵を数度叩きました。そして、ビシリとサウヴァードを指差して叫びます。

「放水準備完了! 覚悟するがね!」

パルの言葉が終らないうちに、穴の中から大量の水が噴き出しました。水は斜めに掘られた穴から真っ直ぐに噴き出し、サウヴァード目掛けて放たれ続けています。

「ノスタートゥルの水を送り込んで水位の上がった海から、水の逆輸入だがね! サウヴァードが弱るまで出しとるから、二人とも溺れんといてちょーよ!」

喜々として放水しながら、パルが言いました。水は日の光を受けてキラキラと輝き、眼前に虹が見えるようになりました。

「……凄い。……と言うか、やり過ぎじゃないの、パル!?」

「方角的に、この水がツィーシー騎国を呑み込む事はあらせんから、心配無用だがや! これくらいやらんと、魔獣を倒すなんてできんがね!」

パルの意見にフィルが頷きました。

「魔獣が余力を残して戦えるような相手ではないという事は、先の三体との戦いで実感したじゃろう? ティグニール」

「……そうでした」

ティグは自分の顔をパンパンと両手で叩き、甘い考えを捨てて表情を引き締めました。剣を握り直し、視線を再びサウヴァードへと向けます。

「……やりましょう、フィルさん。サウヴァードを倒して……ヘイグを倒しましょう!」

「うむ!」

フィルが頷き、二人は揃ってサウヴァード目掛けて走り出しました。

「もう随分水をかけたがね! いくら魔獣でも、そろそろ弱ってきているはずだがね!」

パルの声が聞こえます。それと同時に、二人は剣を構えて水の幕を突き破りました。一気にサウヴァードの首を切り落とそうと、剣を振り上げます。

甘ぇなぁ。俺は、お前らが言うところの魔獣だぜ? こんな海水如きで弱るわけねーだろ?

刹那。耳に入ったサウヴァードの声に、ティグはビクリと身体を強張らせました。先ほどよりも酷い悪寒を感じます。足が、止まりました。

「フィルさん! 駄目です! 退いて下さいっ!」

咄嗟に、ティグは叫びました。何事かと、フィルの顔が一瞬だけティグを見ました。

それとほぼ同時に、サウヴァードが爆発しました。激しい閃光が起こり、赤い炎が一気にサウヴァードの身体から噴き出しました。……いえ、爆発したのではありません。サウヴァードは倒れずに、無傷でその場を悠々と浮遊しています。あれは、サウヴァードがその身体に纏う炎を一気に燃え上がらせたのでしょう。それまでサウヴァードを攻撃していた水は全て蒸発し、辺りには水蒸気と塩だけが残されました。

その様を、ティグとパルは唖然として見ていました。そして、すぐにハッと我に返ると、二人揃ってフィルの姿を目で探しました。

フィルの姿は、すぐに見付かりました。サウヴァードの炎をまともに浴びたように見えましたが、間一髪、直撃は免れたようです。

ですが、彼は左肩を手で押さえています。セフィルタを支えに立ち、荒い息をするその姿は遠目に見ても、どう見ても無事ではありません。

「フィルさん!」

「フィル爺ちゃん!」

ティグとパルが、即座にフィルに駆け寄りました。ティグがフィルに肩を貸し、パルがフィルの傷を見ます。

肩は焼けただれて酷く出血していました。奥の方に見える白い物は骨でしょうか。あまりの傷に、ティグとパルは思わず顔を痛そうに歪めました。

「私の事は良い……。ティグニール、サウヴァードから目を離すな」

フィルの言葉に、ティグはフィルの傷を気にしながらも剣を構え、サウヴァードと対峙しました。後ろから、フィルとパルの声が聞こえてくるのが気になります。

「あかんがね! 薬一本だけじゃ完治しないぐらい酷いがね。……フィル爺ちゃん、まあ一本飲みゃー!」

「……いや。ただでさえ残り少ない薬を、ここで大量に消費するわけにはいかんじゃろう。私はこれで良い」

「けど……」

「大丈夫じゃ。今の一本で、腕は動くようになった。あとは、サウヴァードを倒してからゆっくりと治せば良い」

その言葉を最後に、パルとフィルの会話は止みました。代わりに足音が聞こえ、フィルがティグの横に並びます。

「……本当に、大丈夫なんですか?」

視線をサウヴァードから離さないまま、ティグが問いました。

「君も心配症じゃな。大丈夫じゃと言っておる」

呆れたようにフィルが言います。ティグは、ちらりと首を動かさずに横を見てみました。ティグが見る限り、フィルの傷口は新しい肉が盛り上がり、既に塞がりかけているように見えました。ですが、その新しい肉の赤さが逆に痛々しく見えます。加えて、傷口から出血したのでしょう。その顔は青ざめており、多少足元がおぼつかないようにも見えます。

「……フィルさん」

「……何じゃ」

サウヴァードから視線を離さないティグに、同じようにサウヴァードから視線を離さないままフィルが訊き返しました。

「フィルさんは、サポートをお願いします。サウヴァードは……僕が倒してみせますから……!」

それ以外に、フィルの負担を減らす方法は無いだろうとティグは思いました。サウヴァードの注意がフィルに向かないよう、ティグが主になって突っ込む他はありません。そして、戦闘を早く終わらせるためには、気は進みませんがフィルにセフィルタでサポートしてもらうしかないでしょう。

頷くや否や、フィルは右腕のみでセフィルタを振いました。セフィルタが薙ぎ払った一帯は一息つく間に炎が消え失せ、ひやりとした風が吹きます。

冷たい風が頬を撫でるのを感じながら、ティグは懸命に走りました。そんなティグに向けて、サウヴァードが灼熱の炎をまき散らします。ティグの眼前に、炎の壁が出現しました。しかし、ティグはひるみません。目は真っ直ぐにサウヴァードを捉え、足は炎の壁を恐れる事無く前へ前へと走り続けます。

これ以上走れば炎の壁に突っ込む事になると思われた瞬間、フィルが再びセフィルタを振いました。冷たい風が巻き起こり、炎がゆるやかに消えていきます。

炎が消えたばかりの地面を踏みしめ、ティグは大きく跳躍しました。刃を振り上げ、サウヴァードの首を狙います。

しゃらくせえ! その程度の剣で俺を倒せると思うなよ、このガキが!

不機嫌そうな声で、サウヴァードが自らの身体に強力な炎を纏わせました。炎はティグの目の前で膨れ上がり、ティグの姿を呑み込もうとします。

「そうはさせんがねっ!」

パルが叫び、再び穴の淵を魔法の杖で叩きました。穴から大量の水が噴き出し、サウヴァードへと降り注ぎます。

懲りねぇなぁ。この程度の水じゃ、弱りゃしねぇって言ってんだろ!

苛々とした声で言いながら、サウヴァードは全身を炎の壁で守りました。水は炎に阻まれ、大量の水蒸気へと姿を変えます。

わかってねぇな? 俺に水なんてモンは効きゃしねぇんだよ! 今のでわかったなら、すっこんでろ!

怒鳴り散らしながら、サウヴァードは視線をティグへと戻しました。ですが、そこにティグの姿はありません。サウヴァードは、目を丸くしました。

いねぇ!? くそっ! 逃げやがったのか!? 何処に行きやがった、クソガキがぁっ!

「! 今だがね!」

冷静さを失って叫ぶサウヴァードに向かって、パルが何かを投げ付けました。目を凝らして見れば、それは魔法薬の入った瓶です。瓶は大きく軌道を逸らし、サウヴァードの背後へと落ちていきます。

ハッ! 当たってねぇぞ! 悪あがきはよせ、小娘が!

パルの奇妙な行動を目の当たりにして少しだけ冷静さを取り戻したサウヴァードが、馬鹿にした口調で言いました。すると、パルはニヤリと笑ってサウヴァードの背後を指差します。

「なんの。大当たりだがね!」

そう言ってパルが指差した先――サウヴァードの背後には、いつの間に回ったのかティグが詰め寄っていました。放物線を描きながら落ちた瓶はティグの剣に当たり、粉々に砕け散りました。中に詰まっていた薄桃色の液体が飛び散り、ティグ自身とティグの剣に降り注ぎます。

「わかっとらんのは、お前の方だがね。さっきの水は、お前を攻撃する為じゃあらせん。お前の炎にぶつけて、ティグ兄ちゃんの姿をくらます為の水蒸気を発生させるのが狙いだがね!」

胸を張って言うパルの言葉に、サウヴァードは「してやられた」という悔しそうな顔をしました。そのすぐ背後に迫ったティグは、大きく剣を振り上げました。

パルの身体や武器を強化する薬によって一時的に力強くなった腕が、同じく一時的に強化された剣を振り下ろします。剣の風圧は炎の壁を切り裂き、剣は真っ直ぐにサウヴァードの首へと振り下ろされました。

鋭い断末魔が丘に響き渡り、サウヴァードの首が地へと落ちます。一拍遅れて、その胴体がどさりと落ちました。離れ離れになった首と胴体は暫くすると自然に燃え上がり、巨大な炎が空を焦がしました。

パルが慌てて水を噴き出させ、消火活動を始めました。その様子をぼんやりと横目で眺めながら、ティグは呟きました。その肩は大きく上下し、荒く息をしています。

「……勝った、んでしょうか……?」

ティグの問いに、フィルは頷きました。

「うむ。サウヴァードは地に落ち、自らの身体を焼き始めた。これは流石に、生きてはおるまい。……君の勝ちじゃ、ティグニール」

フィルの言葉に、ティグはホッとしたように表情を緩めました。しかし、聞こえてきたパルの声で、すぐさま表情を引き締め直します。

「ちょっと! どんだけ水をかけても消えやせんがね!」

慌てたその声に振り向けば、そこでは消えるどころか益々激しさを増した炎が燃え盛っています。パルが水をかけ続けていますが、一向に鎮火する気配は見えません。

「どうなっておるんじゃ!? 確かに奴は倒した筈……」

フィルの言葉が終らないうちに、炎の中から何かが弾けたような音が聞こえました。次いで、炎の中から人の頭ほどの大きさをした何かが飛び出してきます。

「……あれは……」

呆然として、ティグが呟きました。そこに現れたのは、炎の鳥でした。半分以下に小さくなってはいますが、姿形はサウヴァードそのものです。

小さな炎の鳥は、一声啼くとそのまま北の方――マジュ魔国へと飛び去って行きました。鳥が離れていくにつれて、燃え盛っていた炎は段々収まっていきます。

三人は呆然とその様子を見ていました。やがて、フィルが小さく舌打ちをして言いました。

「成程な……。ウェスティガーが言っていたのは、こういう事か……!」

「魔獣は、倒されてもすぐに次の代が生まれてくる……。サウヴァードが死んだ途端にその炎から次の鳥が生まれたように……。という事は、何処かでイストドラゴンやノスタートゥル、ウェスティガーの代わりが生まれている可能性が高いがね!」

パルの言葉に、フィルは渋面を作って頷きました。

「そして、その新しく生まれた魔獣もまたヘイグに力を貸す可能性が高い」

「そんな……。じゃあ、僕達が魔獣を倒してきた意味は……」

悲鳴を上げるようにティグが言いました。すると、その肩をぽん、と叩いてフィルが言います。

「悲観するのはまだ早いぞ、ティグニール。生まれたてという事は、その力は私達が戦った魔獣よりもずっと弱いという事が考えられる」

「今ならまだ、魔獣達をヘイグの戦力として考えずに戦いを挑む事ができる……そういう事かね、フィル爺ちゃん?」

パルが問うと、フィルは静かに首を振りました。そして、ちらりと自らの左肩を見ると言いました。

「そういうわけじゃ。残念じゃが、身体を休める暇は無くなったようじゃな。すぐにマジュ魔国へと向かうぞ。パルペット、ティグニール。魔獣達が力を付ける前に、ヘイグを叩く!」

そう言うとフィルはセフィルタを鞘に納め、しっかりとした足取りで北に向かって歩き出しました。それを、ティグとパルが慌てて追いかけます。

ティグはフィルの背を追いながら、ふと北の空を眺めました。そこは、ツィーシー騎国の空とはまるで違い、黒い雲に覆われています。以前ティグがマジュ魔国に乗り込んだ時よりも更に黒く暗いその空に、ティグは何やら不吉な物を感じました。

ティグはその不吉さを振り払うように首を振ると、顔を上げました。キッと前を見据え、腰の剣をぎゅっと握ると、フィルとパルを追いかけました。

黒い雲はやがてツィーシー騎国の上空にも及び、ザッ、と冷たい雨を降らせました。雨により、燻っていたサウヴァードの名残の炎は完全に消え去ります。雲が完全に去ったその後、その場所には焼け野原と化した丘と、パルの掘った、あまり大きくはない斜めの穴だけが残されていました。




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