葦原神祇譚






13







悲鳴が聞こえる。砂埃が舞う。

先行した仁優が現場に着いたのは、丁度一般の人々がほぼ逃げ終わり、警官達が撤退を始めた頃だった。今回は人の目が無くなるまで待機しなくて良いというのが、少しだけありがたいと思いつつ、黄泉族の前に姿を晒す。

「……猿か。今日は一人か?」

既に黄泉から出てきていたウミが、からかうように問う。後に控えているライは、何も言おうとはしない。

「そっちこそ……今日は二人だけかよ? 雷獣と黄泉醜女の数も、この前より少ねぇみてぇだけど?」

負けじと言い返してみれば、ウミの顔が更に楽しそうに歪んだ。あ、まずい、と瞬間的に思う。

「メノがいない事が気になるか? 記憶が無くとも、妻の姿は恋しいと見える」

「なっ……そんなんじゃ……!」

必死に言い繕おうとするが、良い言葉が出てこない。

「恥じるな。伴侶の姿を己が傍らに欲するのは、ごく自然な事だ。……さて」

視線を仁優より更に遠くへ遣りながら、ウミが呟いた。ほんの数秒の間に、表情も雰囲気もまるで違う物へと変じている。仁優は、心臓の鼓動が早く大きくなっているのを感じた。

「猿共々、死ぬ覚悟はできたか。瑛?」

「必要とあらば、いつでも死ぬ覚悟はできている。だが、お前に殺されるつもりは毛頭無い」

「……?」

ウミと、現れたばかりの瑛。この二人のやり取りに、仁優は思わず首を傾げた。二人の言葉に、特におかしいと思える点は無い。……いや、現代日本の基準で考えれば、寧ろおかしい点だらけではあるのだが。とにかく、この二人の会話としては違和感のような物は無い。だが、二人の発する声が……どことなく、いつもと比べてぎこちない気がする。

仁優が首を傾げている間にも、二人は着々と戦闘態勢に移っていく。瑛がイヤーカフを銀の剣に変え、ウミが金の剣を抜き放った。

「……ひょっとしなくても、俺、これヤバい……?」

ぽつりと、呟いた。今現在、仁優は瑛とウミの丁度中間に立っている形だ。二人が互いに向かって駆け出し剣を振るえば、まず間違い無く巻き込まれる。……が、睨み合う二人の威に気圧され、見動くする事もままならない。空気が読めない人間になりたいとここまで思ったのは、生まれて初めてかもしれない。

「……」

それまで黙っていたライが、不意に剣を抜き、軽く振るった。すると剣の先より弱々しい雷が生まれ、仁優の足元へと飛んでくる。

「うぉっ!?」

仁優は、思わず避けた。その瞬間、それが合図であったとでも言うように瑛とウミが同時に動く。金と銀の剣がぶつかり合い、激しく火花を散らした。

激しい斬り結びに、仁優はそろそろと後ずさる。そして、二人から三メートルも離れたところで、どん、と何かにぶつかった。恐る恐る振り向いてみれば、そこにはいつの間に移動したのか……ライが腕組みをして立っている。

「ライ……」

「敵前逃亡でございますか、猿田彦殿。見れば、瑛様はウミ様の相手で手いっぱいのご様子。ならば、私は貴殿にお相手願いたい!」

そう言って、一度は納めていた剣を再び抜く。

「ちょ……だから俺、戦闘はからっきしだって、お前もこないだのあれでわかってるだろ!? それでなくても、お前滅茶苦茶強いじゃねぇか! 相手も何も、勝負にならねぇよ!」

そもそも自分達を殺しに来ている相手に勝負になるもならぬも関係無いのだが。それでも慌てて手で制止するポーズを取る仁優に、ライは真剣そのものな顔ですごみ、言う。

「そのような事は百も承知! ですが、私がウミ様に加勢すればウミ様は瑛様に対し、易々と勝利を収めてしまいましょう。かと言って、拮抗する戦いを前に、相手がおらぬ私がボウッとしているのも奇異な事。さすれば、猿田彦殿。私は貴殿にお相手頂くほかは無いのです!」

「……どういう事だ? お前らは、この国――葦原中国を滅ぼしに来たんだろ? なのに、まるでウミが瑛に勝ったらいけないような言い方……」

ライの物言いに納得がいかず問うが、ライは「喋り過ぎた」とでも言わんばかりの顔で首を振る。

「猿田彦殿は瑛様から何も聞かされておりませぬのか。ならば……これ以上はお話しするわけには参りませぬ」

そう言うと、ライは剣を構えた。

「猿田彦殿……いざ、勝負!」

叫ぶや否や、ライは仁優目掛けて駆け出した。振り上げられた剣に、仁優は咄嗟に腕で顔をガードする。銅の籠手と鉄の剣がぶつかり合い、ガツン、という音を立てた。

「……?」

その音と衝撃に、仁優は訝しげに顔を顰めた。衝撃が、予想よりもずっと小さい。先日のライの攻撃は道路のアスファルトを砕いていた。だが、今の攻撃ではアスファルトは砕けまい。

手加減を、されている……?

だが、そうだとしても仁優が勝てるというわけではない。ライの太刀筋が早く力強い事に変わりは無いし、仁優の戦闘能力が低い事も足があまり長くないのも変わらない。……いや、最後のは認めたくないが。

ライの剣をかわし、雷をかわし、時にわざとらしく作られた隙をついて拳や蹴りをうち込んでみる。そして、かわされる。

そうこうしているうちに、神谷が辿り着き、援軍を呼んだ。まだ回復し切っていないのか、それとも前回手酷くやられたせいで契約を打ち切られでもしたのか……数は前よりも少ない。

夜末とオロシも来た。夜末はまだ包帯が取れていない上に、跛をひいている。奈子と彦名の医務室のお陰で回復は早いが、それでもまだ治りきっていないのだろう。無理をして出ようとしたところを誰かに見咎められ、それを押し切って出てきたといったところか。

夜末が更に進もうとしたところで、オロシが腕を伸ばし制す。これ以上は危険な目に遭わせない、さがっていてくれ、と言いたげだ。弱虫で臆病なオロシが、やるではないか。

「余所見をしている余裕がおありか。……でしたら、もう少し激しく攻撃させて頂きますぞ、猿田彦殿。どうされる!?」

言葉と同時にライの剣が振り下ろされ、辛うじて受け止めた腕がジィンと痺れる。やはり、手加減をされている。

横では、オロシと、神谷に呼び出された霊達がウミへの攻撃を開始した。余裕ができたところで、瑛が指を噛み、血から新神達を生み出す。

多勢に無勢で、傍目からはウミが押され出したように見える。そしてその様子を、チラチラとライが横目で見ている。気になるのだろう。気になるのならば、手加減をやめて仁優を斬り伏せ、さっさとウミの加勢に行けば良い。そうすれば、前回同様、勝負はアッサリとつくだろうに。

勿論、仁優としてはこのまま手加減を続けてくれた方がありがたい。戦い続けるのは、戦闘能力の低い身には辛いが、それでも一瞬で殺されて黄泉族の仲間入りをするよりはずっと良い。それに、相手がウミ一人であれば、瑛達の負担も減る。

だが、それでも気になる。何故、ライは手加減をしているのか……。

『油断をしない方が良いよ、仁優。瑛と、そこにいる闇産能天滅能尊、建御雷之男神は何かを企んでいるようだからね……一瞬でも気を抜けば、それが命取りになりかねない』

「……瑛も?」

イヤホンマイクから聞こえてきた天の声に、仁優は立ち回りながらも思わず問い返した。

『……瑛には信じてくれと言われたけどね。残念ながら、ボクはイマイチ信用し切れないでいる。だからこうして、戦闘で気を抜けない筈のキミに通信をしているというわけさ』

「……」

天の言葉を呑み込み、整理して自分なりに理解しようと、仁優は考えようとした。だが、落ち着いて考えようにも、ライの攻撃が止まない。鉄の剣と、雷の刃が間断無く襲い来る。それを懸命に避けながら、仁優はライに叫び掛けた。

「お前、今日は一体どうしたんだよ? お前は、もっと強いはずだろ? 俺でもわかるくらい手加減して……何がしたいんだよ!?」

我ながらド直球な問い掛けだな、と仁優は思う。しかし、回りくどい問い方をすれば、恐らく同じような回りくどい答え方でのらりくらりとはぐらかされてしまう。

直球な問い掛けに対し、どのように応ずるか考えているのだろうか。ライは、答えようとしない。仁優は更に問いを重ねた。

「さっき……お前、俺に言ったよな。瑛から何も聞かされていないのか、って。言いたかないけど、俺の仲間は、瑛を疑ってる。瑛と、お前ら二人がつるんで何か企んでんじゃないか、って。どうなんだ? お前らは、本当に何か……」

「シッ……!」

言葉を重ねる仁優を、ライは一声で制止した。鋭い声に、仁優は一瞬ビクリと固まった。だが、すぐに頬をライの微弱な雷が掠め、気を取り直す。

「そのまま。拳を振るい続けて頂きたい。話は、戦いながら」

小声で紡ぎだされるライの言葉に、仁優は訝しげな顔をした。だが、話してくれると言うのだ。ここは、相手の言葉に従って戦っておこう。――いや、戦うフリ、か。

「話せば長くなります故、今ここで詳しい話をするわけには参りませぬ。まず知っておいて頂きたいのは、我らには瑛様や猿田彦殿を害すつもりは無い、という事」

「……そう言われて、素直に信じると思うか? こないだは本当に殺されかけたし、今だってこうして戦ってる」

小声に小声で応じると、ライは難しそうな顔をした。

「あの時は……我らは真に敵同士でございました。命を奪い、黄泉族の仲間に引き入れるしか無いだろうと。ですが……通じぬと思っていた話は通じ、協定は成りました。ならば、無理に命を奪う必要は無い……」

仁優は眉を顰めた。協定は成った――その言葉が、先程の仁優からの問いに繋がると……それは、瑛が黄泉族と手を結んでいると認めている事になるではないか。

仁優の表情が表す言葉が通じたのか。ライは溜息を吐いた。

「どうやら……疑いだけが濃くなってしまったご様子……。本当に私は説明が下手で……自分で自分に呆れてしまう」

言うや、剣を素早く振り下ろした。受け止めた籠手から、火花があがる。まだまだ手は抜いているのだろうが、それでも先ほどまでと比べると本気を出し始めている。

「疑いの色を強めてしまった猿田彦殿に、今は何を説明しても無意味でございましょう。それはただ、疑惑と混乱を深めるだけに過ぎない。ならば……」

もう一度、剣が振り下ろされる。更に、強い。

「私は、戦い続けるまで。猿田彦殿も、これより先は何も問わず、私と戦って頂きたい。案ぜずとも、先程申し上げた通り……命を奪おうとは露も思っておりませぬ」

どうやら、もう何かを訊いても何も答えてはくれなさそうだ。どの道、死ぬ気が無い以上、仁優はライと戦う他は無い。戦わなければ来た意味が無いし、瑛達が離脱していないうちから逃げるわけにもいかない。

……けど、もし戦っているうちに、瑛が敵に回ったら……?

ふと頭に浮かんだ想いに、仁優は首を強く振った。

確かに、今瑛が仁優達を裏切り敵に回れば、まず間違い無く仁優達はこの場で全滅する。だが、ライに手を抜かれているとは言え、先程から戦闘は拮抗状態なのだ。それに、葦原師団にこれ以上増援が無い事は、瑛も仁優も知っている。待つ意味が無い。裏切るなら、とっくに裏切っているはずだ。

それに、天が戦場に出てくる事は無いと言ったのは、他ならぬ瑛自身だ。ならば、わざと拮抗状態になって天を援軍に来させ、そこで討つ……という事も無いだろう。第一、わざと拮抗状態にしているのは瑛ではなく、ライなのだし。

「……え?」

自分の編み出した考えに、仁優は目を見開いた。

「……どうやら、自力で気付かれたようですな。猿田彦殿」

ライの言葉が、仁優の考えを後押しする。

わざと拮抗状態になり、焦れた味方の大将をおびき出して討ち取る策?

天照大神である天は、絶対に戦場には出てこない。

ライは、どう考えても手加減をしている。

「まさか……裏切るのは瑛じゃなくて……」

仁優が言い終わらないうちに、ビシリ、とひびが割れるような音がした。あまりに大きな音で、一瞬雷鳴かと思った仁優はライの顔を見たほどだ。だが、ライが強力な雷を発した様子は無い。

しかし、ライの顔はそれまでとはガラリと変わっていた。緊張を、帯びている。

「……何だ?」

この呟きは、音に対する物だったのか、ライの表情が突如として変わった事に対する物だったのか。それとも、呟きと同時に起こった現象に対する物だったのか。

空に、赤黒いヒビが走った。黄泉族の門だ。ただし、先日の物の何倍も大きい。見上げなければ、どこまで高いのかわからない程に。

メリ……と音を立て、ヒビが拡がった。赤黒い空間が太り、辺りに闇がかかる。

「来る……!」

ライが、呟いた。ふと気付けば、仁優もライも、既に戦いの手を停めている。傍らで戦っていた瑛達もだ。

ヒビだった赤黒い空間はますます太る。そろそろ、巨人でも出てくるのではないだろうか。

「猿。命が惜しくば、今のうちに逃げると良い」

金の剣を構えたまま、ウミが言った。「え?」と仁優が振り向けば、ウミはギリリと剣を強く握り直す。

「お前が自覚している通り、お前を戦力としては見込めない。つまり、逃げても逃げなくても、支障は無い。……お前に何かあると瑛の動きが鈍りそうだから、できれば逃げて欲しいくらいだが」

「な……」

どう答えるべきか。言葉を探して仁優が口を開閉させている間にも、ウミは言葉を続ける。

「そこの妖禍使いと霊話者も、さっさと逃げると良い。特に、妖禍使い。八岐大蛇が可愛いのであれば、ここに残るは愚策だと思うが?」

「……」

夜末と神谷も、答えあぐねている。ウミが言いたい事はわかるし、納得もできる。だが、これから何が起こるのかをその目で確かめたいという気持ちもあるし、アッサリと逃げたくもない。そう言いたげな目だ。きっと、今の自分も同じ目をしている。仁優は、そう思う。

赤黒い空間から、どろりとした何かが溢れ出して来た。見ただけだが、ある程度の弾性や粘性はありそうだ。色は、定まらない。赤い時も、青い時も、黒い時もある。何色もの色が同時に現れる事もある。

それを言葉で表すのであれば――混沌。中国の神話に登場する、天地のまだ分かれていなかった時の状態。そんな言葉が頭に浮かぶ……はっきりとしない、だがそれ故に恐ろしさを感じる姿だった。

《イ……ミ……》

「喋った!?」

脳に直接響くかのようなその声に、仁優は思わず声をあげた。混沌たる物体はそんな仁優には目もくれず、ぶるんと震えた。すると、その塊からはぽこぽこと小さな物体がいくつも生まれる。子どもの頭ほどの大きさだ。

「なっ……何なんだよ、これ……!?」

「造化三神……天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、神産巣日神(カミムスビノカミ)の、なれの果てだ」

ウミの口から飛び出した名に、仁優は首を傾げた。聞いた事がある名だから古事記に出てくるのだろうが、どの場面で出てきたのかが思い出せない。……いや、造化三神? この名前から察すると、この混沌たる物体は……

「冒頭部分に登場するだろう? 天之御中主神はこの世に出でたる最初の神、そして高御産巣日神と神産巣日神は、天地万物の生成を司る神だ」

瑛の声に、仁優は振り向いた。

「な……何でそんな神様まで黄泉族に!? しかも、なれの果てって……何やったら、あんな……」

「……」

「……」

ウミと瑛が、揃って深刻そうな顔をして黙り込んだ。その様に、仁優は「ん?」と違和感を覚える。

さっきまで戦っていた二人の息が、徐々にだが合ってきている……?

いつの間にか、神谷の呼んだ霊達と、瑛の生み出した新神達がウミに刃を向けなくなっている。オロシもだ。……まぁ、オロシの場合は天之御中主神達の気配に怯えてしまっているだけなのかもしれないが。

ウミと瑛が、視線を交わし合った。まるで予め決まっていた事だとでも言うように二人は頷き合い、そして走り出す。

一瞬、「裏切り」という言葉が仁優の脳裏を過ぎった。このまま瑛が、向こうの陣営についてしまうのではないかと。

だが、すぐにそうではない事に考えが至り、首を振る。先ほど、自分で答に辿り着いたばかりではないか。

裏切るのは、瑛ではなくて……

「おぉぉっ!」

「はっ!」

掛け声と共に、ウミと瑛が同時に造化三神に斬りかかった。金と銀の剣が混沌を斬り裂き、真正面から攻撃を受けた天之御中主神が唸るように雄叫びをあげる。

《オォォォォォ……》

その雄叫びに、仁優はぞくりとした。重く、低く、腹の底に響く。全てを恨み、嘆き、呪っているかのような音。世界を、神々を創ったという存在から、どうしてこのような邪悪な音が発せられるのか。

「ライ!」

ウミに鋭く名を呼ばれ、ライは「御意!」と短く答えた。剣をかざし、その先から強烈な雷が迸る。

《オォォォォォ……》

天之御中主神が、更に雄叫びをあげた。ライの雷に焼かれ、苦しんでいるようにも聞こえる。

瑛が、新神を生み出した。黒と赤の新神達が、造化三神に纏わりつく。その行動に、瑛の行動をはかりかねていた夜末達も決意が固まったらしい。神谷が携帯で霊達に総攻撃の指示を与え、夜末は懐から例の八塩折之酒入りカプセルを取り出す。

だが、それを渡されようとしたオロシは呑む事を拒否した。

「オロシ!」

夜末の叱り付ける声が仁優の元にまで届く。だが、ビクビクとしながらもオロシはきっぱりと言った。

「呑みません! それを呑めば、僕はまた理性を無くして大暴れをしてしまいます! 先日は、朝来様と瑛様が二人がかりで止めて下さいました。けど、今瑛様は造化三神との戦いで手一杯……朝来様は怪我をされています。そんな状態で、僕が暴れるわけにはいかないんです!」

「しかし……」

朝来が、困った顔をして言い淀んだ。すると、間髪入れずに瑛から声が飛んでくる。

「夜末! オロシの言う通りだ。これ以上厄介な相手を増やすわけにはいかない! お前とオロシは一旦退き、万一の為に伊勢崎達を守れ!」

少しだけ悔しそうな顔をして、夜末はオロシと共に退いた。仁優は、今の夜末の気持ちが少しだけわかる気がする。自分が足手まといだと気付かされるのは、悔しいし、辛い。

複雑な想いで夜末の後姿を見送ってから造化三神の方へと向き直り、仁優はギョッとした。造化三神から生まれた小さな物体が、増えている。ぽこぽこと増えに増えた小さな混沌達は本体の周辺に所狭しと浮かび上がり、不気味な上下運動を行っている。

その不可解な動きに、仁優は妙な不安を覚えた。あの動きには、見覚えがある。小学生の時、大縄跳びで縄を跳ぶタイミングを計る為に、あのような動きをした事があるし、友人達も同様だったように思う。小さな混沌達の動きは、あれにそっくりだ。

まるで何かを行うためのタイミングを計っているかのような……。

「……!」

再び、背筋がぞくりとした。脳が警鐘をガンガン鳴らしているような気がする。無意識のうちに、仁優は叫んでいた。

「瑛! 神谷! 一旦退け! よくわかんねぇけど、何かやべぇ!」

その叫びが合図であったかのように、小混沌達が弾けた。宙を埋め尽くした小さな混沌が次々と弾けていく。まるで、うっかり電子レンジに入れてしまった茹で卵のようだ。

弾けた小さな混沌達の欠片は辺り一面に降り注ぎ、その場にいる者に襲い掛かる。まず、新神達が軒並みやられた。小さな欠片に貫かれ、次々と姿を消していく。

その様子に危険を感じたのか、即座に神谷が携帯に「退け!」と怒鳴った。多くの霊達は退却して事無きを得たが、一部が逃げ遅れ、貫かれ、やはり消滅した。

その間にも、混沌の欠片は散弾のように飛び交い続ける。そして、欠片が当たった場所はどろりと溶け、黒い闇へと姿を変えた。

「なっ……こんなんアリかよ!?」

叫んでみたところで、どうにもならない。仁優は、必死になって欠片を避け続けた。瑛、ウミ、ライも今は逃げ続ける他は無い。ただ、最小限の動きで全ての欠片を避けているのは流石と言ったところか。

やがて、欠片を降らし尽くしたのか、攻撃が止む。一同がホッとしたところで、またも天之御中主神が声を発した。

《……ギ……ミ……コロス》

最後の言葉だけは、妙にはっきりと聞き取れた。そして仁優は、何度目になるかもわからない肌の泡立ちを感じる。

今の攻撃で、辺りは闇だらけとなってしまった。足場も殆ど無くなってしまっている。

再び、造化三神がぶるんと震えた。またも、小さな混沌達が無数に生み出される。そして、今度はそれらが合体し始めた。小さな混沌がいくつも合わさって、少し大きな混沌へと変ずる。

少し大きな混沌が、あの上下運動を始めた。仁優は思わず、近くにいた神谷の腕を乱暴に掴み、駆け出した。この場にいたらまずい。早く逃げろ。本能が、そう叫んでいる。

そして、先程欠片が届かなかった場所まで仁優達が退避を完了した瞬間。

少し大きな混沌が、弾けた。

先ほどよりも大きな欠片が、辺りを舞い飛ぶ。

ウミが、ライが、欠片を避けて逃げる。瑛も、避けた。だが、避けた先にもう一つ。

「瑛っ!」

仁優が、神谷が、叫んだ。二人とも、時が止まってしまったかのように動けない。ライが、叫ぶように目を見開いた。そして。

ウミが走り、瑛を突き飛ばした。

瑛を貫く筈だった欠片はウミの胸を貫き、そしてウミは倒れる。

今度こそ、時が止まった。そのように、仁優は感じた。

瑛と、ライの顔が蒼ざめる。あんな顔をする二人を、仁優は知らない。

瑛が、叫んだ。

「イザナギっ!」

イザナギ? それはまさか、あの?





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