13月の狩人








第三部







13








 暗い影が、己に迫る。

 表情を読む事ができないその顔は、今、たしかに嗤った。そう感じた時、何かを手渡された。

 これは……。

「……」

 視界に飛び込んできたのは、手渡された何かではなく、暗闇の中薄らと見える天井だった。

 カミルはぼんやりとした頭で記憶を辿り、「あぁ、そうか」と呟く。

「着いたんだった。北の霊原……」

 あの後、呆けるフォルカーの姿から逃げるように走ったカミルは、テオ達と共に北の霊原に辿り着いた。改めて見れば服は全く濡れていなかったので、あの雨は幻だったのだろう。

 北の霊原は、精霊の村と言っても差し障りがない程、精霊や妖精、それに魚人などの他種族に対して友好的な獣人が住んでいる。住んでいる者が多いので、それなりに店や宿泊施設もある。

 どこに泊まるか少々悩んだが、とりあえず霊原の入り口に近い場所にある宿、以前の十三月で宿泊した事がある宿は避けた。

 あの様子なら、恐らくフォルカーは霊原に入ってすぐの宿に転がり込むだろう。遭遇する可能性は、極力減らしたい。

 獲物ではない者にとっての十三月の記憶がどうなっているのかわからないが、もしかしたら違和感を抱かせるぐらいはあるかもしれない。だから、以前宿泊した宿にもできる限り近寄らない。

 様子を見て、可能であればしばらくは宿に身を潜めて、時が過ぎるのを待ちたい。だから、宿代が高過ぎる宿も避けたい。

 そんな感じで選んだ宿に入り、カミルとレオノーラ、テオとエルゼで二室借りてチェックインした。

 ベッドに潜り込み、毛布に包まると、すぐに強烈な眠気の波が襲ってくる。流石に、野宿からの歩き通し、走り通しは体に堪えた。

 そうして眠り続け、少しは疲れが取れたのか、目が覚めた。だから今、カミルは夜中の天井を見詰める事となっている。

 むくりと身を起こし、ベッドサイドに転がした鞄を手探りで探した。何となく再び寝付ける気がしない。ならば、北の霊原で時間の感覚が狂ってしまっていた事だし、今の正確な日時を把握しておきたい。

 鞄の中から魔道具の暦を探し出し、レオノーラを起こさないよう、静かに窓際へと移動する。少しだけカーテンを開けて、その隙間から差し込む月明かりで暦を照らした。

 そして、その表示された日付に、カミルは息を呑む。

 氷響月の、十二日。

「そんな馬鹿な……」

 カミルは、思わず呟いた。一晩野宿した翌日から、十日も経過している。いくら幻覚で時間の感覚が狂っていたとは言え……流石にこれは、有り得ない。

「……カミル=ジーゲル様?」

 カミルの声で目を覚ましたのか、それともカミルと同じように自然に目が覚めたのか。レオノーラがカミルの元へと飛んできた。そして、カミルの後ろから暦を覗き込み、顔を険しくする。

「一体どういう事……と、口にするだけ野暮でございますわね」

「……そうだね……」

 今は十三月。〝有り得ない〟は、有り得ない。わかっているはずなのに、それでもまだ、有り得ない事を目の当たりにすると驚いてしまう己がいる。

「理由を無理矢理考えてみるなら、二年前のフォルカー達と時を同じくしたから……かな? 二年前にフォルカーが北の霊原へ来た時が、丁度このぐらいの日付だったらしいから」

「二年前のフォルカー=バルヒェット様やテレーゼ=アーベントロート様と同じ場所にいた時間が、本来のそれよりも前にならないよう、辻褄を合わせた……という事ですの?」

「うん。……そう考えるのが、今のところ一番納得できる気がする」

 少し自信が無さそうに言うカミルに、レオノーラは少し考える様子を見せてから、頷いた。

「たしかに、現時点ではそう考えるのが最も納得できますわね。ですが、カミル=ジーゲル様? 十三月において、決め付けはしない方が良いと思いますわ。残り二日と思って安心したところで、いつの間にか時が戻って残り十日になっている、 などという事も有り得ましてよ?」

 言われて、カミルは目を瞬いた。言われて見れば、たしかにそうだ。そもそも、四年以上前のカミルやレオノーラ、二年前のフォルカーやテレーゼがいる世界なのだ。いつの間にか時が戻っていても、何も不思議は無い。

 つまり。

「考えるだけ無駄だと思いますわ。こういう時ぐらいはフォルカー=バルヒェット様を見習って、気楽に適当に過ごされてもよろしいのでは?」

「……本当、レオノーラってフォルカーに厳しいよね……?」

 カミルが苦笑しながら言うと、レオノーラは少しだけ慌てた様子を見せた。

「誤解が無いように申し上げますけれども、フォルカー=バルヒェット様の事を嫌っているわけではございませんわよ?」

「わかってるよ。レオノーラがフォルカーを叱る時、呆れてはいるけど、声や表情は優しいからね。……何て言うのかな? お姉さんが、弟を叱る時みたいな」

「からかわないでくださいまし!」

 照れているのだろうか。レオノーラの声が、少々上ずった。その様子に、カミルは思わず声を抑えて笑い出す。

 そうだ。〝有り得ない〟が有り得ない十三月なのだから、考えたところでそれは意味を成さないかもしれない。

 ならば考え過ぎず、今はただ、氷響月を最後まで生き抜けるようにしていれば良い。周囲の状況に気を配る必要はあるが、いつもと勝手が違う事が起きた時に一々その意味を考えなければならないなどという事は無い。

「見聞を広める旅に出たぐらいのつもりでいようか」

「それで良いと思いますわ。何なら、再び魔道具職人として働けるようになったお祝い旅行のつもりでも良いかと」

「お祝い旅行だったら、テレーゼやフォルカーも一緒が良かったかな?」

 そう言って笑ってみると、不思議と少しだけ、気持ちが軽くなった気がする。考え過ぎる事無く、もう少し気楽にいこう。

 とりあえずもう一度眠り、明日以降の事は、明日考えよう。そう言ってレオノーラと頷き合い、再び毛布に包まった。気が軽くなったからか、心地良い眠気がゆっくりと襲ってくる。

 だが、そんな中でも一つだけ、考えずにはいられない事が、カミルの脳裏に引っ掛かり続けていた。

 先の夢で見た、あの暗い影。もしかしなくても、あれは……。

 それ以上は考える事ができず、カミルは再び、眠りに就いた。

 氷響月が──一年が終わるまで、あと二十日。









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