13月の狩人
第三部
7
「それで……どこへ向かいますの?」
レオノーラの問いに、カミルは歩きながら腕を組み、唸った。
「テレーゼやフォルカーに倣って、まずは北の霊原……かな?」
あそこなら中央の街ほどの混雑は無い。住人のほとんどが精霊や獣人であるため、狩人の襲撃を受けてカミルがおかしな行動を取ったとしても、種族の違いで誤魔化せる。行くまでの道のりは湿地帯で歩き難いが、木が多く生い茂っているため姿を隠しやすい。
「あそこなら、宿や食料の調達も心配せずに済むしね」
そう言って苦笑するカミルの顔を覗き込むようにして、レオノーラは問うた。
「……カミル=ジーゲル様。北の霊原に行くのであれば、西の谷に寄って、テレーゼ=アーベントロート様達に相談する事も可能ではございませんこと?」
「それも考えたけど……」
そう言って、カミルは左腕に巻かれたアミュレットにそっと視線と手を遣る。二人のくれたこのアミュレットに触れていると、気持ちが落ち着く気がした。
「テレーゼ達も獲物だっていうならともかく、そうでないならただ心配させるだけになるように思うんだよね」
獲物でないのであれば、そこにいるテレーゼ達は狩人が作り出した幻のような存在だ。カミル達を狙う矢を認識する事もできないだろうし、テレーゼ達が力を貸してくれたとしても恐らく狩人の攻撃を防ぐには至らない。
既に魔法使いとして、剣士として、一人前と認められ活躍している二人だ。獲物として十三月に招かれている可能性は、極めて低い。
そして、日々を忙しく過ごしている二人に、夢の中の話とは言え心配させ、要らぬ苦労をさせたくない。
そうカミルが言うと、レオノーラは納得したように頷いた。そして、少々言い難そうな顔をしながらも、言う。
「それに……お二人のうちのどちらかが代行者として招かれている……という可能性も捨てきれませんものね……」
その言葉に、カミルは「うっ……」と呻く。テレーゼは二年前に代行者として招かれているし、更にその二年前には他ならぬ自分が代行者となっている。その可能性は、否定できるものではない。
「……順番で言えば、今回の代行者はフォルカーになるのかもしれないけど……」
「まったく想像がつきませんわね……」
「こそこそ動いて陰から狙ったりせず、真正面から堂々と仕掛けてくるタイプだからね……」
「言い出しておいて申し訳ございませんが、フォルカー=バルヒェット様が代行者である可能性だけはございませんわね。私が狩人なら、まず選びませんもの。賭けてもよろしゅうございますわ」
「それは言い過ぎなんじゃ……」
今頃、当人はベッドの上で毛布に包まりながらくしゃみをしているかもしれない。
レオノーラとの軽いやり取りに思わず笑っているうちに、少しだけ気持ちも軽くなってきたように思える。この調子で行こう、とカミルはさくさくと歩き続けた。
中央の街を出て、西の谷に足を踏み入れ、テレーゼやフォルカーの家がある方角をちらりと見たが立ち寄る事はせずに。襲撃を受ける事無く、順調に西の谷を通り過ぎた。その間に日は昇り、沈み、辺りは暗くなっていく。
そして、いよいよ北の霊原へ足を踏み入れる前段階。湿地帯の道へ差し掛かった時だ。
ぴりりとした何かを首筋に感じ、カミルはハッと顔を強張らせた。
腰の鞄に手を突っ込むと、一番上にしまっておいた黒い筒を取り出す。
「レオノーラ!」
「心得ましたわ!」
レオノーラが黒い筒に軽く触れ、黄緑色の光がそれを包む。元々多少は充填してあったため、すぐに魔力はこれ以上入らない、とレオノーラが告げる。
カミルは頷くと、筒を掲げ、側面にあるスイッチを入れる。すると、筒からネットが射出され、カミル達を覆った。そしてそれは、瞬時に透明な膜を生み出し、半径十メートルほどの薄くも丈夫な結界となる。
ほぼ同時に、カン、カカン、カン! と甲高い音が響いた。
矢だ。幾条もの矢が、結界にぶつかっては跳ね、地面に落ちていく。
「……噂をすれば、だね。代行者かな」
「そのようでございますわね。一定方向からしか飛んできませんし、威力も弱いようですわ」
十三月の狩人が放った矢であれば、もっと勢いがあり、結界にぶつかった時の音もあんなものでは済まないだろう。そう推測するレオノーラに、カミルは頷いた。
四年前、カミルとレオノーラは十三月の狩人が放った矢に貫かれている。四年も前の事とは言え。貫かれたのは魂だったとは言え。あの衝撃は忘れられない。その経験が、今、矢を放っているのは狩人ではないと、はっきり告げていた。
「ですが、このままでは埒が明きませんわ」
困ったように言うレオノーラに、カミルは黙って頷いた。たしかに、そうだ。結界を張っていれば問題の無い相手ではあるようだが、このままではカミル達は動くに動けない。
今のところ結界の中にいれば安全であると判断したカミルは、地に鞄を降ろし、何かこの状況を打破できる道具を持ってきていなかったかと探し始めた。
「あ。とりあえず、これを使ってみようか?」
取り出したのは、杖。通常の物よりも、かなり太い。
「あら。懐かしゅうございますわね」
レオノーラが目を細める前で、カミルは杖を一振りした。途端に、強烈な閃光が迸り、辺りを白く染め上げる。
魔道具だ。以前の十三月でテレーゼ達にも渡している。一回分は魔力を溜めておく事ができるため、使い捨てのつもりであれば魔法使いでなくても、相棒の妖精がいなくても、閃光を放つ魔法を使う事ができる。
十三月の狩人は、獲物を恐怖で追い詰めるためか、基本的に暗い夜にしか現れない。そのイメージを利用して、狩人は明かりが苦手であると嘯き、テレーゼ達を騙そうとした事もある。
流石に代行者は光が苦手という事は無いだろうが、これほどの閃光であれば目くらましにはなる。
その読みは当たったようで、結界に当たる矢の音がカィンッ、カシッ、と、今までよりも力の無い物になっている。閃光により代行者の目が眩み、狙いを定められなくなっているか、上手く弓を引くのに良い体勢を取れなくなっているのかの、どちらかだろう。両方である可能性も考えられる。
やがて、カシッという矢が結界を掠っているような音が増えてきた。その音に、カミルは不思議そうに首を傾げる。
掠る音が増えてきたという事は、代行者の狙いがどんどん結界の中心からズレているという事だ。閃光で目が眩んだ直後ならわかるが、目が慣れてきたであろう頃になってもズレている、寧ろズレが酷くなっているというのはどういう事なのか……。
音の位置が大分ズレたところで、ガサリという音が聞こえた。矢が結界に当たる音よりも、ずっと近い。カミルの斜め後ろ方向……地面に近い位置から聞こえたように思う。
結界の中に、動物でも紛れ込んだだろうか?
そう思いながらゆるく振り向き、カミルは目を見開いた。
人がいる。十五、六歳ほどと思われるが、茂みの間を小さく縮こまって移動しているため、顔や性別はわからない。
あぁ、なるほど……と、カミルは妙に納得した。恐らく、今襲ってきている代行者の狙いは、カミルではなく、あの少年だか少女だかなのだろう。
想像の域を超えないが、この代行者は狩人の矢が獲物以外に当たらない事を理解しているようだ。実際に、その場面を見たのかもしれないし、それ以外の何かがあったのかもしれない。そして、ならば代行者の攻撃も獲物以外にはダメージを与えないと考えている可能性がある。
だからこそ、隠れていた獲物を、その近くにいた人間もろとも攻撃するなどという荒っぽい手段に出たのだと推測できる。
周囲の人間に当たっても、傷付ける事は無い。獲物ではない人間に当たったら、それはその人間も獲物だったという事で、儲けもの。そんな理屈なのかもしれない。
全部、カミルの想像だ。だが、完全に的外れな想像ではないように思える。だからこそ。
「……なんか、そういうの嫌だな……」
ぽつりと、カミルは呟いた。
あの代行者も、きっと必死なのだろう。夢を叶えるために。一人前になるために。十三月で生き残るために。がむしゃらになって、己の役割──代行者の仕事を果たそうとしている。
だが。だからと言って、関係があるかどうかもわからない人間まで巻き込んで攻撃するその姿勢は、感心できない。代行者を経験した己が言っても説得力が無いかもしれないが、無差別攻撃は頂けない。
カミルはため息を吐くと、再び鞄の中を漁り始めた。
「カミル=ジーゲル様?」
不思議そうな顔をするレオノーラに、カミルは苦笑して見せる。
「目くらましで驚いて退いてくれたら、って思ってたけど……もうちょっと脅かしておいた方が良さそうだね。あの子から話も聞きたいし」
そう言って、ちらりと先ほどの少年もしくは少女を見る。結界から出る事ができず、どうすればこの場から逃げる事ができるのかと、おろおろしている様子だ。
こんな状況だ。さぞかし恐かろう。
本来ならあれが普通の反応であるというのに、己は随分と場馴れしてしまったものだ。ため息を吐きつつ、レオノーラに視線を遣る。
「レオノーラ、この魔道具に魔力の補充をお願いできるかな?」
「かしこまりましたわ。ところで、カミル=ジーゲル様? 結界の魔力がそろそろ切れる頃かと存じますが、追加はいかがいたしますこと?」
「追加は良いよ。一発で終わらせるから。その分、こっちに」
そう言ってカミルが鞄から取り出した魔道具を差し出すと、レオノーラは微笑んで頷き、黄緑色の光でそれを包み込んだ。
そして、魔力の補充が終わったそれを持ち直すと、カミルは大股で件の少年もしくは少女の元へと歩み寄る。
カミルが目的の位置に着いたところで、魔力が切れて結界が消えた。ここぞとばかりに、代行者が矢を射かけてくる。
だが、カミルの持つ結界の魔道具はこれだけではない。
危機が迫れば結界を張ってくれるブレスレット。工房を出た時、アミュレットと共に、しっかりと左腕に身に着けてきた。先ほどの魔道具と比べると短時間で発動できる代わりに持続時間が短く、一瞬の防御向けだ。
そして、その一瞬を凌げれば、カミルには充分だった。
この結界は、範囲も先ほどの物と比べて狭い。半径三メートルほどだ。だから、攻撃を受ける位置が先よりも近く、よく見える。よく見えるからこそ……矢が飛んでくる方角が、確認しやすい。
代行者のいる方角はわかった。カミルは視線を巡らせ、辺りに人がいないかを確かめる。レオノーラが、「大丈夫」と言うように頷いた。魔力の気配を探り、辺りの人数を確認してくれたようだ。
カミルはレオノーラに頷き返し、代行者がいるであろう方角に向けて魔道具を構える。片手で持てるサイズの、銃型の武器。狙いを定め、飛来する矢が途切れた瞬間──こちらの結界が一時的に消滅した瞬間に、引き鉄を引く。
予想を遥かに超える轟音が、鳴り響いた。銃口から、人間一人程度であれば余裕で呑み込めてしまいそうなほど巨大な魔力の塊が射出される。
あまりの衝撃に、カミルはその場で尻もちをついた。その間にも魔力の塊はバチバチバリバリと音を立て、木々をなぎ倒しながら直進していく。
そして終いには、三十メートルほど先の、人が三人は隠れる事ができそうな巨岩を一撃で粉砕した。
その様子に、レオノーラが呆れた顔をしている。
「……カミル=ジーゲル様? この魔道具は護身用のために開発されていたと記憶していますけれども……これで正当防衛が成り立つとは到底思えませんわ」
「うん……実際に使ったのは初めてだけど、こんなに威力が出るとはね……。色々と調整が必要かな……」
少し困ったような顔をしながら、カミルは立ち上がる。それとほぼ同時に、粉砕された岩の近くにあった木の陰から人影が飛び出してきた。恐らく、彼が代行者だ。
彼がいると思われる場所から少し狙いをずらして撃った甲斐あって、怪我らしい怪我はしていないように見える。その事に、カミルはホッとした。そして次に、代行者の顔を見て首を傾げる。
代行者はテレーゼでもフォルカーでも無い、十六、七歳の少年だった。その年頃の少年は、カミルの知り合いには心当たりが無い。だが……どこかで見た事がある気がする。
不思議そうな顔をしながらカミルが少年に近寄ると、彼はビクリと身を強張らせ、そして脱兎の如く駆け出した。
「あ、ちょっと……!」
思わずカミルが声をかけると、少年は駆けながらも振り向き、涙声で叫んできた。
「これで終わりじゃねぇかんな! 逃げ切れると思うなよ、カミル!」
「……え?」
突如名を呼ばれ、カミルは呆けた。やはりこの少年は、以前会った事があるのだろうか? しかし、親しくもない相手を呼び捨てにするような知り合いはいなかったはずだと、再び首を傾げる。
「カミル=ジーゲル様、あの代行者……」
「……レオノーラも、見覚えがある?」
「えぇ……」
レオノーラも、自信無さげながらも頷いた。……となると、やはり会った事があるというのは勘違いではなさそうだ。
「……何だろう……。気になるんだけど……」
「思い出せない以上、今は考えていても仕方がありませんわね」
言われて、カミルは頷いた。そして、後ろを振り向く。結界に紛れ込んでいたあの少年だか少女だかと話をすれば、何かがわかるかもしれない。
振り向き、そしてカミルはギョッとした。
彼が、恐る恐るこちらを見ていた。
彼……そう、相手は、少年だった。金髪で、碧眼。大人しそうな顔立ちをしている。
懐に大事な物を隠すように、妖精を連れていた。その妖精はやはり金髪で、黄緑色のドレスを着ていた。
数年前のカミルと、レオノーラに瓜二つ。そう思いたくなるほど……いや、思わざるを得ないほど、少年はカミルに、妖精はレオノーラに似ていた。
カミルに似た少年はおずおずと口を開くと、言葉を選ぶ素振りを見せながら言った。
「助けてくれて、ありがとうございました。あの……あなたは?」
問う前に問われ、カミルは寸の間、考えた。そして、嘘偽りなく名乗る事にする。
「僕は、カミル=ジーゲル。こっちは相棒の妖精で、レオノーラ。……君は?」
カミルの言葉に、少年は目を見開いた。少年だけではない、妖精もだ。
そして彼はおずおずと、間の悪そうな顔をして、言う。
「えっと……僕も、カミル=ジーゲルと言います。こっちは……レオノーラ……」
その名乗りに、カミルとレオノーラは、思わず顔を見合わせた。