13月の狩人








第二部
















最初に、狩人に追われながら北の霊原へ行った時。あの時は、たしか六日ほどの時を要したと思う。

だが、あの時は道に不案内だったし、突然命を狙われる事になって何が何だかわからない状態だった。今は、違う。

道は何種類も把握しているし、天候や時間、体調を考慮して、何パターンもシミュレーションをしてきた。最高のコンディションなら、四日もあれば辿り着ける。最悪でも、六日といったところだ。

夜通し歩く事はしない。フォルカーは夜目が利くとは言え、やはり夜は辺りが少々見えにくいし、歩き難い。

これまで準備してきたあれこれを考えながら、フォルカーは北の霊原へと続く道に足を踏み入れた。北の霊原は湿地帯。当然、そこへ続く道もぬかるんでおり、足を踏み入れた途端にぐちゃり、とした感触が襲ってくる。

滑って転んだりしないように、ぐちゃり、ぐちゃり、と一歩ずつ慎重に歩みを進めていくと、今でも二年前の事が頭に蘇りそうで。

あの時のテレーゼは、強がっていたけど不安そうだったな。本当に危なくなった時、カミルが助けに来てくれたんだったっけか。けど、そのカミルが実は……。

首を振り、蘇りそうになった記憶を心の奥に仕舞いこんで、フォルカーは新たに一歩踏み出した。

その一歩を地につけたか、否か。

ザ……と一陣の風が吹いた。だが、ただの風ではない。

冬だというのに冷気を感じない。それどころか、爽やかさを含んでいる風だ。

「フォルカー兄、おかしいです……」

宙を飛んでいたマルレーネが、顔を強張らせながらフォルカーに寄り添った。フォルカーも顔を険しくしながら、頷く。スンスンと、鼻を鳴らした。

「たしかに、変だ……。今は十三月だけど、体感的には氷響月のはず……だよな? けど、この風は……」

そこで、気付いた。空気が、季節にそぐわず暑さと湿気を孕んでいる。風が肌を撫でると、その部分が気持ち良い。そして、風が吹く度に辺りの木々が揺れ、葉がざわざわと音を立てる。

「この風……この臭い……。まるで、葉騒月みてぇな……」

呟いた瞬間に、今までになく強い風が吹いた。フォルカーは思わず両腕を顔の前に構え、マルレーネはフォルカーの後ろに隠れる。

そして、風がやんだところで目を開き……開いた目は、更に見開かれた。

そこに見えたのは、若々しい緑で枝を覆った木々。ぐちゃぐちゃの道端にも濃い緑の葉が生い茂り、紫色の花まで咲いている。そして、空が明るい。清々しく晴れ渡り、まるで初夏のような……。

「どうなってんだ……?」

「どうして急に、葉騒月みたいな景色になったんでしょう……?」

二人して顔を見合わせるも、答えは出ない。答えが出ない以上、立ち往生していたところで仕方が無い。

とにかく前に進もうと、フォルカーは新たに一歩踏み出した。体がどうにかなってしまったわけではないようで、動きに支障は無い。

サクサクという、草を踏み分ける音が耳に心地良い。それに、耳元を吹き抜けていく風も。

「けど……フォルカー兄、やっぱりおかしいですよ」

「いや、そりゃどう見てもおかしいけどよ。気候は良いし、足下はちょっと湿ってるぐらいだし。歩き易くて良いんじゃねぇか?」

楽観的にそうフォルカーが言うと、マルレーネは「そうじゃないです!」と顔を険しくした。

「空気はたしかに葉騒月の、初夏みたいなんですけど……けど、フォルカー兄は冬の服を着たままです。暑いと感じないんですか?」

ハッと、フォルカーは己の服装を見た。言われてみれば、そうだ。獣人で寒さに強いとは言え、流石に真冬である氷響月から雪鳴月の初めまでは、厚手の生地でできた衣服を着ている。本来なら、初夏である葉騒月には着ていられないような服だ。なのに、今はそれほど暑いと感じていない。皮膚で感じる空気は、たしかに初夏のものだというのに。

緊張感が、警戒心が、一気に高まる。辺りに最大限の注意を払いながら、フォルカーは更に一歩を踏み出した。

途端に、辺りが急に暗くなる。……いや、ただ暗くなったのではない。見上げれば、先ほどまで青かった空が黒くなり、そこに白く輝く星が所狭しと散らばっている。空気も、先ほどまでより暑い。これでは、まるで……。

「今度は、星飾月……?」

一体、何がどうなっているのか。わからないままに、フォルカーは歩を進める。とにかく今は、先に進む他にできる事は無い。

二歩進む。何も起こらない。十歩進む。何も起こらない。三十歩進んでも、何も変わらなかった。だが、三十一歩目を踏み出した時。

ひらり、と。白い物が落ちてきた。それを思わず手に取り、その正体を確認して……フォルカーは顔を顰める。

それは、白い花の花びらだった。それも、ただの花ではない。軽く臭いを嗅いでみれば、それだとすぐにわかる。

毎年、新年の時だけ空から降ってくる、祝福の花。今年の初めも、去年の初めも、テレーゼが鬼気迫る表情で掻き集めていた、魔力をもたらしてくれるという。

新年にだけ降る花。だから新年最初の一ヶ月の事を、花降月という。つまり、この花が降ってきたという事は。

「星飾月から、急に花降月かよ……っくしゅっ!」

急に冷えを覚え、フォルカーは一つくしゃみをした。上着の前を掻き合わせると、マルレーネがその中に潜り込んでくる。元々が氷響月なので、本来ならこの気候が正しいはずなのだ、と一気に冷えた鼻をこすりながら、フォルカーは考えた。

暗い中、白い花は雪のように次々と降り積もる。それが次第に本物の雪へと変わり、足下を白く塗り潰し始めた。

これは、本格的にまずい。

何がどうまずいのか、説明しろと言われてもわからない。だが、このままでは危険だと本能が告げている。

「……ちびすけ、走るぞ!」

叫び、フォルカーは走り出す。

雪の積もった道は走り難く、突然夜となったために辺りが見えにくい。走行を阻んでいる雪の灯りが多少の援けになっている、というのが皮肉な話だ。

やはり、先ほど葉騒月や星飾月になった時も、本来の気候は氷響月のままだったのだ。戸惑い、立ち止まっていた分体が冷えている。冷えて、動きが鈍くなっている。

もし今ここで、十三月の狩人やその代行者に狙われたら?

本能が告げていた危機が本物であった事を感じつつ、フォルカーは走り続ける。そして、彼の走り抜けていった場所からは、次第に雪が消えていく。

後には、深々と足跡が残るぬかるんだ道だけが残った。












web拍手 by FC2