13月の狩人












21












ハッと、テレーゼは目を覚ました。窓からは白い陽の光が降り注ぎ、清々しい空気が部屋の中に満ちている。

南の砂漠にいた筈なのに、ここはテレーゼの部屋だ。カーテンを開けてみれば、外では雪のように白い花が空から降り注いでいる。花降月になったのだ。枕元の暦も、花降月に変わっている。

「……夢……?」

呆然と呟き、そしてテレーゼは強く首を振った。あれが夢であったとは思えない。夢であるはずがない。根拠はある。それは……。

「テレーゼ、起きているかしら?」

部屋の外から、ギーゼラの声がする。ハッと我に返ると、テレーゼは慌ててベッドから立ち上がった。

「はい、起きてます!」

急いで身支度を終え、部屋から飛び出す。ギーゼラと向き合うと、姿勢を整えて頭を下げた。

「新年、おめでとうございます。先生!」

テレーゼの挨拶に、ギーゼラは「おめでとう」とにこやかに返す。そして、あら、と小首を傾げた。

「テレーゼ、貴女……夜中に、こっそり外に出たりしたのかしら?」

「? いいえ?」

実際には、夜どころか、一ヶ月もの間この家の外にいたのだが。話しても仕方が無い事なので、黙っていると、ギーゼラは「そうなの?」と不思議そうな顔をする。

「不思議ねぇ……。一晩で、見ただけでわかるぐらい魔力が増えているわよ、テレーゼ。てっきり、こっそり一人で外に出て、祝福の花を集めていたんじゃないのかと思ったのだけど……」

やっぱり、と、テレーゼは密かに思う。

自分でも、気付けるぐらいに。あれを夢と思うには、あまりにも魔力の量が増えている。

十三月の狩人から逃げ切る事ができた者には、何か良い事があるという。代行者は、獲物を狩る事ができれば願いが叶うという話だった。

本当に、良い事が……願いが叶ったのだ。魔力を増やしたいという、以前からのテレーゼの願いが、叶った。なのに、今テレーゼは、あまり嬉しくない。

テレーゼの魔力が増えたという事は。願いが叶ったという事は。カミルとレオノーラの事も、夢ではないのだろう。十三月の狩人の矢によって貫かれた、あの姿も。

そこで、ふと気にかかる。テレーゼは、目が覚めたら自室のベッドの中にいた。まるで何事も無かったかのように。十三月を挟まずに、氷響月の三十二日が終わったので、当然のように花降月になったのだと言わんばかりに。

フォルカーも、恐らく同じような事になり、現在首を傾げている事だろう。……いや、彼の事だから、まだ眠りから覚めていないかもしれない。

……では、カミルは?

十三月の狩人に射られた矢を突き立てたまま十三月を終えたカミルは、どうなる?

矢が突き刺さった状態で、ベッドに寝ているところを発見されるのか? 矢は無く、ベッドが血の海と化しているのか? それとも、蒸発したかのように消えてしまっているのか。

それとも……それとも……彼だけは本当に夢であったかのように、何事も無く、明るく元気な笑顔で、新しい花降月を迎えているのか。

希望的観測を打ち捨て、僅かに首を振る。そんなに都合の良い展開、度々起こるはずが無い。

様子がいつもと違うテレーゼを相変わらず不思議そうに眺めながらも、ギーゼラはにこやかな顔をしてテレーゼを居間へと誘う。

「ほら、テレーゼ。せっかくの新年なのだから、まずは新年のご馳走を食べましょう? ……と言っても、用意してくれたのは全てテレーゼだけれども。昨日作っていたプディング、早く食べたくて仕方が無いのよ」

本当に嬉しそうにプディングの話題を出すギーゼラに、テレーゼはやっと、少しだけ笑った。そして「はい」と頷いて居間へと向かう。

そうだ、考えるのは後にしよう。今はまず食事を摂って、力を付けて。それから、カミルの事を確認しに行けば良い。この後、何がどうなるにしても……身を持たせるために食べておく事は必要だ。

プディングを切り分けていると、ギーゼラが外の様子を窺いながら言う。

「ほら、とても素敵なお天気よ、テレーゼ。食べ終わったら、昨日の約束通り、花を集めに行きましょう? それとも、それだけ増えたなら、もう良いかしら?」

「はい」

すぐに応じ、そして密かに首を傾げた。ついさっきまで、テレーゼは食事をしたらカミルの様子を確認しに行こうと思っていた。なのに、ギーゼラと花集めに行こうと、迷う事無く決めるとは?

そんなに己は、魔力を欲していただろうか? カミルの安否を確かめる事を、後回しにしてまで?

嫌な予感がする。心臓がバクバクと、高鳴り始めた。何だろう……予感がする。まだ、あれでは終わらないという予感がする。

心臓が高鳴っている事を隠しながら、切り分けたプディングをそれぞれの席に配り、食べ始める。……良い出来栄えだ。一ヶ月も前に作ったとは思えない。……いや、今は十三月を挟まなかった花降月に戻ってきているのだから、昨日作った物なのか。

取り留めも無い話をしながらプディングや、その他の料理を食べていると、ドンドンドン! と強く扉を叩く音がした。扉を叩く音に合わせるように、テレーゼの心臓が、更に強く鳴る。

「ギーゼラさん! いるかい? ギーゼラさん!」

野太い、壮年の男の声。聞き覚えのある声……中央の街に住む魔道具職人、ヴァルターの声だ。そう……カミルの師匠である、ヴァルターの……。

「あら、ヴァルター。新年おめでとう。……どうしたの? そんなに血相を変えて……」

扉を開けて対応したギーゼラに、青褪めた顔のヴァルターは縋るようにして叫んだ。

「新年早々に悪いが、すぐに来てくれ! カミルが……カミルが目を覚まさないんだ!」

「え……?」

水を打ったように、その場が静まり返った。ギーゼラは顔を険しくし、テレーゼは動けないでいる。

「どういう事? 一から話して頂戴」

ギーゼラは、テレーゼに水を持ってくるよう言い渡す。テレーゼはすぐに水を汲んだグラスを用意し、ヴァルターに渡す。ヴァルターはそれを一息に飲み干すと、少しだけ落ち着いた様子で語り出した。

「朝……カミルが珍しく、いつまで経っても起きてこねぇものだから、起こしに行ったんだ。そうしたら……声をかけても、揺さぶっても……何をしても起きねぇんだ! ずっと眠り続けてる……カミルも、レオノーラまで!」

「……生きてる……の……?」

思わず呟いたテレーゼに、ヴァルターは「勿論だ!」と怒鳴った。怒鳴り声だが、怒ってはいない。テレーゼを安心させようとする気持ちが、声の中に見て取れる。

「呼吸はある。寝息も安らかだ、なのに、目覚めない。医者に診せても、さっぱりわからないと言う……。こうなったらもう、西の谷一の魔女であるギーゼラさんしか頼れねぇんだよ!」

「わかったわ」

頷き、ギーゼラはテレーゼの方を見た。

「テレーゼ、私は今から、カミルの様子を見に行ってみるわ。花を集めに行く予定だったけど、テレーゼは……」

「私は……」

少し躊躇い、そして決意すると、テレーゼははっきりとした声で言った。

「私は……私は一人で、花を集めに行きます」

その応えに、ギーゼラとヴァルターは驚いたように目を見開いた。テレーゼとカミルは友人同士。てっきり、テレーゼもカミルの様子を見に行くと言うと思っていたのだろう。

「テレーゼ、本気でそう言っているの?」

「……はい」

本当は、カミルの様子を見に行きたくて仕方が無い。だが、テレーゼは花を集めに行かなければならない。その根拠は……ある。

「……予感がするんです。カミルを助けるためには、きっと高度な治癒魔法を使えなければならないんだろう、って。先生、私……カミルを助けたいです。そのためには、高度な魔法を使えるだけの魔力が要ります。だから……今は、花を集めに行かなければいけないんです」

花降月に空から降る花は、天上から祝福された花。集めれば集めるほど、触れれば触れるほど、魔力が増えると言われている。

集められるだけ、集める。魔力を増やす。そして、高度な治癒魔法を使えるようになる。

決意が見て取れたのだろう。ギーゼラとヴァルターは、揃って頷いた。

「そう……。わかったわ、ひと先ず、カミルのところへは私だけで行ってくるけど……無理をしたら駄目よ?」

「悪いな、テレーゼちゃん。カミルのために……」

「いいえ……」

首を振り、そして「いってらっしゃい」と二人を見送る。一人になって初めて、テレーゼは顔を歪めた。

「そういう……事だったのね……」

十三月の狩人は、たしかにテレーゼの魔力を増やしてくれた。願いを叶えてくれた。だが、ただ叶えてくれたわけではない。

次の課題を、十三月の狩人は残していった。

十三月で命を落としてしまったと思われるカミルとレオノーラは、死ぬ事無く、花降月に戻ってきてくれた。しかし、眠りから目覚めぬようになってしまった。きっと、それを救うのが、テレーゼとフォルカーの次の課題だ。

……いや、次の、と言うよりも、追加の課題なのかもしれない。何しろ二人は、代行者であったカミルのために、随分と都合よく逃げ切る事ができたのだから。

十三月の狩人なりに、ペナルティを課したつもりなのかもしれない。狩りに失敗したカミルとレオノーラには、目覚めなくなる、死にも等しい呪いを。楽をして十三月を乗り切ったテレーゼとフォルカーには、新たな目標と悩みや苦しみを。

二人はこれから、カミルのために努力をするのだろう。テレーゼは、カミルとレオノーラを目覚めさせるために、更なる魔力増加を目指し、最終的には高度な治癒魔法を使えるようになる事を目指す。フォルカーも、きっと何か目標を決める事だろう。

そして、その成長が捗々しくなかった時……その時二人は、また十三月に招かれるのかもしれない。また、あの悪夢のような一ヶ月を過す事になるのかもしれない。今度は、カミルではない代行者を相手にして。

「……上等じゃないの」

呟き、テレーゼは拳を握った。

再び十三月に招かれたら、またその一ヶ月を乗り切るだけだ。そうして、更に魔力を上げさせてやる。

ただし、次は逃げ回らない。逃げずに戦う。それが代行者であっても正面から向き合い、全力でぶつかっていく。

そして、代行者が狩りに失敗した時は、きっとまた目の前に本物の十三月の狩人が現れるのだろう。そうなれば、その時は……。

「その時は、何が何でも戦う。消滅させてやるわ、絶対に……!」

二度と、カミルのような悲しい代行者を出さないために。最凶の精霊だろうと、亡霊だろうと関係無い。絶対に、消滅させる。

そう、強く強く心に誓い。テレーゼは花を集めようと、家の外へと踏み出す。

外では、新年を祝う白い花が、間断無く空から降り注いでいた。












(了)











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